2013年11月6日水曜日

サルコジとカダフィ殺害「未生怨の理解」貪愛の母親と無明の父親殺し

10月20日リベリアのカダフィ大佐が北大西洋条約機構軍(NATO)とカダフィの友人であったサルコジ仏大統領が送ったラファール戦闘機の爆撃の中で捕らえられ、その後に殺害された。カダフィ大佐を殺害してしまった事情は詳しくは今のところわかってない。殺害せずに裁判でその罪を裁くことを求める人権派の人々と、そんなことよりもカダフィが生きていることの恐怖を訴えて死を喜ぶ意見とが対立してあると仏国営ラジオ・フランス・アンフォは報道した。殺害の真実究明が待たれる。それにもましてカダフィ大佐の殺害が仏法で説かれる未生怨太子(みしょうおんたいし)の話しを彷彿させる。この視点からの理解がリビアの将来の民主主義実現に役立つのだと思う。

未生怨太子というのは阿闍世王(あじゃせおう)のことである。阿闍世王の母親が妊娠して母親の胎内にいたのだが、ある時に仙人の占いで、この子は生まれ出て将来に必ず父王を殺害すると予言された。

そのために子供の出生は貪愛の母により延期されていた。やがて生まれ出た阿闍世王は自分の父親とは知らずにある時に父親を殺害する。つまり子供は生まれる前から怨念をもって母親の胎内に入り込んでいたと解釈できるということである。そういう謂れから未生怨太子(みしょうおんたいし)と呼ばれている。

これは我々の生死の因果律を見る場合に非常に重要で、子供は親に殺される運命があった。幼児殺しと他方では、父親殺しという問題だ。これは一部、ギリシャ悲劇やシェイクスピアのハムレットの主題にも関係しているところがあるが、仏法の未生怨太子(みしょうおんたいし)の話はさらにその先にある三世に渡る人間の因果というものを示唆している。

つまりその阿闍世王のドラマの出生を鑑みると、カダフィ大佐は何者かによって殺害されたのだが、今度は、その殺害者を両親としてその胎内に宿り生まれて出て父親を殺すという解釈ができるのである。

これが凄いことで、この因果律を一応の辺においては一般には避けることができないために、初めて仏法がキリスト教徒やイスラム教では解決できない人間の正邪の価値や善悪の二元論の宿命論を超えた因果律を説明できることになるのである。

そこにキリスト教の善悪の二元論を超える仏法の世界観が出現する。つまり、カダフィ大佐が永遠に救われない悪者で終わらないということで彼もまた再生の可能性が与えられるのである。

またこれと闘ったリビア反体制派の国民評議会(NTC)や連合国の者たちが永遠に絶対的な善者で終わらないという世界観が提示されるのである。その意味では我々の生きる世界は誰もが阿闍世王(あじゃせおう)の一応の宿命を持って生まれているということだ。この科(とが)による不幸を遁(のが)れるためには、再応はその宿命である貪愛の母と無明の父を離れ転換させなければならないだろう。

2007年7月、ブルガリア人看護婦5人とパレスチナ人医師1人の解放で、性病感染の被害を受けたリビア人家族側に保釈金1人100万ドルを払うことで、最終裁判での死刑宣告がカダフィ大佐から恩赦となったと一応はみられている。この人権救済での欧州が出す金が遅いということで仏外務省の金庫番が4億5200万ユーロ(約500億円)を立て替えてリビア側へ渡した。

この計画で一躍有名になったサルコジ大統領の前夫人セシリアさんの快挙と見なされた。しかしその裏には高速道路や病院建設、原発プラントの裏取引も指摘されてドイツはこのやり方に反発している。カダフィの息子サイフ・アル・イスラム・カダフィ氏がルモンド紙(2007年8月2日付け)でも暴露している。ミサイル対抗戦車ミランを約1億ユーロ(約110億円)でフランスの企業から買う闇契約や軍備製造工場の建設プラントが両国の間にあったというものだ。

この解放計画を支援したとされるクロード・ゲラン内相(前エリゼ大統領官邸書記総監)の補佐をした人物としてボリス・ボワロン氏がいる。この人はサルコジ型の若手の外交官として吹聴されていたが2010年の11月にテレビ(グランジュール)に出演してリビアのムアマル・カダフィ大佐を支持する発言していた。

リビアのカダフィを指して彼は自分の子供」だと話し、「カダフィは自分のしたことを今は改心しているのだから、だれも間違いはあるのだし、これまでの誤りをいつまでも悲観的に悪く取って見ていてはならない」などと話している。

サルコジ型の外交官ボワロン氏がリビアの独裁者カダフィ大佐を擁護して、「カダフィは自分の子供だ」といっていることが面白いのだ。このときに、ボワロン氏のその性格からなのかは分からないが、同氏はニコニコと笑いながら周囲を見回して自慢気に吹聴したのである。それが同席していたジャーナリストたちを驚かせている。

以上、仮説的に示唆してみたが、その背景を少し説明しておきたい。まず 、「アラブ諸国の春」が始動している中でエジプトやチュニジアの独裁者の招待旅行で年末年始の豪華家族旅行を遂行したフィヨン首相やミッシェル・アイオマリ外務大臣(前内相、元防衛相、MAM)の事件が左派系の新聞に暴露されて、フランス政府はマグレブ諸国の民主化支援に乗り遅れたばかりでなく逆行してしまったことが明らかになった。

そのためにサルコジ大統領は焦ってそれを挽回するために、友人であったはずのリビアのムアマル・カダフィ大佐を独裁者と見なし頭脳的な参謀で哲学者のベルナール・アンリ・レヴィと二人だけではかって、防衛相や首相と相談無く、一応の国際社会の了解を取り付けた後に直ちにリビア空爆開始の一番乗りをしてみせた。

次に、米国のオバマが一週間ほど爆撃の主導権を取ったが、それは直ぐに北大西洋条約機構軍(NATO)へとバトンタッチされて国際社会といっても欧米中心だが、欧州や国連を巻き込んでいった。

チュニジアの政情変化はベンアリが国外亡命をはかる1月14日以前に、何度か仏大統領官邸エリゼ宮殿や仏外務省に、軍隊やフランス対外情報治安総局(DGSE)などによって報告されていたという。しかし政府や外務省は聞く耳がなかったのだとフランスのメディアは伝えている。

フランス政府の重鎮であったミッシェル・アイオマリ外務大臣(前内相、元国防相、MAM)は1月11日に「チュニジア警察にフランスの治安取締りの腕前を伝授して、世界にしらしめる」と、チュニジアの市民を弾圧しているベンアリ専制政治の暴力機構であるチュニジア警察を支援する発言をしている。

これがオリビエ・ブザンスノ反資本主義新党(NPA)やフランステレビのチュニジア人ジャーナリストの目にとまって批判が大きくなったことは既に当ブログで報告した通りである。

そこで思い出していただきたいのが、2011年1月26日朝のフランス政府の発表では、チュニジア大使ピエール・メナー氏が責任を取らされた形で辞任したが、そしてその後任には若手のサルコジ型外交官と持て囃されたボリス・ボワロン氏が就任したということであり同氏の発言なのだ。(本文の初出3011mrm10月23日最後の編集: 2011年10月25日 6:03 PM - mat)



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