2013年12月16日月曜日

中央アフリカ到着のオランド仏大統領のジェット機に イスラム武装集団セレカ軍が介入?

中央アフリカで仏兵が待ち伏せで2人の青年兵が殺害された事件が、ネルソン・マンデラの追悼式参加の前日に起こったために、オランド仏大統領は棺の帰還と追悼のために中央アフリカ訪問を続いてすることになっていた。同大統領が中央アフリカの首都バンギのムポコ(M'Polo)飛行場到着時に、青年兵を殺害したと見られるセレカ(Séléka)軍隊が2台のジープと5台の小型輸送車で飛行場に侵入して、オランド大統領の公用機ファルコン・ジェット機7Xの前に立ちはだかった。車にはそれぞれ機関銃を持つ10人ほどの軍人が乗っていたという。15日のパリジャン紙が特報記事を出し、同日昼のフランス国営放送テレビA2でもそれを報道した。これに関し、ロラン・ファビウス外相は、同15日にグラン・ランデブー(ヨーロッパ1、ルモンド紙、iTélé共催番組)に出演し、「我々はフランソワ・オランド仏大統領と一緒にバンギで夜を何時間か過ごしたが、そんな話は何も聞いていない」と答えている。

セレカ軍のスーダン人の将軍が車から降りて、同胞に命令した後に直ちに小型輸送車に乗り込みその場を去ってしまったという。この少し不思議な事件は数分で終了している。

フランス軍のいる陣営近くまでセレカ軍がやってきて、しかもオランド仏大統領を脅かしたことが問題になっている。「どうやって彼らがここまで侵入できたかわからない」「それは大変緊張したものだった」と言うものもあったとパリジャン紙fr.は書いている。

フランス側では、情勢悪化のために、飛行場内に特別テントを設置してその内部で棺への追悼が行なわれたことは伝えられていた。

パリジャン紙fr.は、このムポコ(M'Polo)飛行場には4万人の難民がバラック小屋を建ててキャンプしていてオランド大統領のジェットキの滑走路とは隣り合っていたことも書いていて、ひょとして大統領は何かの事件の脇を通ったのではないかとも言っている。

セレカ軍と対立する暫定移行政権の大統領ミッシェル・ジョトディア(Michel Djotodia)氏とは15分ほど会見した。2005年5月に大統領に就任していたフランソワ・ボジゼ氏はイスラム武装集団セレカ(Séléka)によって排斥された。それ以来中央アフリカでは殺害テロが相次いでいた。オランド大統領は2014年内に大統領選挙を組織することを希望している。

オランド大統領は南アフリカで開催されたネルソン・マンデラ追悼集会参加後に同じ飛行機で中央アフリカの首都バンギのムポコ(M'Poko)飛行場に19時15分に到着した。同飛行機は15席ほどあって、オランド大統領の他にロラン・ファビウス仏外相、オランド大統領夫人《パリ・マッチ誌の元ジャーナリストのバレリー・トリエルワイダー)などが乗っていた。

【参考記事】
Centrafrique : Hollande et l'incident secret de
http://www.leparisien.fr/politique/securite-hollande-et-l-incident-secret-de-bangui-15-12-2013-3410653.php
http://www.leparisien.fr/politique/securite-hollande-et-l-incident-secret-de-bangui-15-12-2013-3410653.php