19日の午後にル・コルビュジェのサヴォア邸を訪ねた。天気はよくて秋の気配はとっくに始まっているイルドフランスの風景は素晴らしく、雲も風も木々の緑も美しい。私はふと印象派の画家の舞台となったシスレーやモネが描いたセーヌ川河畔のマルリーやアルジャントゥーユなどの絵を思い出していた。古い時代の梨やリンゴの品種を保存している梨やリンゴ園がポワシー周辺にはある。この辺はサンジェルマン・アン・レイの森の続きで松や樫や栗の木が多い。ル・コルビュジェのサヴォア邸の建築は印象派ではないが、建築の印象派なのではないかと思うところがあるのだ。(パリ=飛田正夫15年9月21日 1:37 )
9月19日と20日は第32回目の「ヨーロッパ文化財遺産の日」で、美術館やシャトー、天守閣、教会など普通入れない所も開放する。入場料は殆どの会場では無料となっている。そのためか家族連れが繰り出して大盛況であった。サヴォア邸の狭い入り口を入ると、係りの人がどこから来たのかと統計を取っていた。フランス語と日本語の小さなパンフレットをもらった。私はこういう場合に、直ぐには見ないようにしている。理由は、先ずは自分の目を信じて見てゆくことの方が大きな収穫を得る事ができると信じている。見ると言う事は正解の回答を探したり確認したりすることとは別のことだからだ。
今回は写真をたくさん撮ることができたので、それをいくつか紹介しながら、私の感じた印象や思ったことなどをメモ的に簡単に書いてみたい。
ポワシーは宗教会議でも有名でカトリーヌ・メディシスとプロテスタントが和解の協議をした町である。この町の教会には凶暴な十字軍を行ったサンルイの立像がある。サヴォア邸は保険屋の社長サヴォア氏夫人のために週末を過ごす田舎の別荘としてつくられたル・コルビュジェ初期の作品。非常に美しいと思う。建物のある景観を知らないとピントこないところがある。この建物を訪問したら周囲から眺めたあとは、一気に最上階に上る。そうするとこのサヴォア邸が立っている位置がわかる。非常に高い丘の上なのである特に建物の背後の北側はセーヌが削った谷で川の向こうに白い丘陵がひろがっている。これが最上階の壁に長方形に空けられた開口部、つまり絵で言うところのカードル(枠)に入った風景画として見ることができるのである。その景観はイルドフランスの空や雲をテーマに描いた印象派画家たちの憧れであった。サヴォア邸の正面1階は横に帯のように長い窓が印象的であり、それを支える細い柱が建物を空中に浮かせて見せている。もちろんここにコルヴィジエの特技があるわけだ。中世の教会などの窓が壁の重さを支えていたために開口部としての窓を大きくとれなかった。ゴチックはそうして誕生したのだがそれでも窓は縦に長方形にしか取れなかったのは石の建築の最大の問題点であった。つまり窓が小さく縦にしかできないために光が中に入らないのである。だから中世の窓はみんな立てに長いのはロマネスクでもゴチックでも同じであるとおもう。ところが、このサヴォア邸では窓は横長の帯状だ。これを可能にさせたのが鉄筋コンクリートであることは誰でもしっている。私は長い間コンクリートはギリシャ・ローマの昔から使われてきて、フランス人の土木技師オーギュスト・ペレが鉄筋コンクリートの使用法を世界で始めて行ったのだと思っていた。ここの「ヨーロッパ文化財遺産の日」特別出演のガイドに質問すると、その発明は英国人とフランス人の共同作業によるということだった。これでまた私の調べる事が増えたわけだ。それにしてもサヴォア邸は美しい。光と影を、また同じ事だが印象派の舞台であるセーヌの河畔にあり、上階を支える細い柱はペリステールと呼ばれるギリシャの丘に立つアクロポリス神殿の周囲の列柱を彷彿させるものだ。
写真は地上階から1階のテラスまで登って来たところ。サヴォア邸の建物にはこの写真で見ることができるように、中央に螺旋階段が配されていてこれを使っても登ることができる。スロープを上がるか中階段の螺旋階段を登るかは天気にもよるし、その時の気分次第で変えられるわけだ。そしてここから眺めるイメージは、これがル・コルビュジェの時代の豪華客船のようなのだ。青空を背景に2階最上階は白い客船のエントツにも見える。どこかに旅をしているような住宅だ。そしてテラスには植物があちらこちらと植え込んである。これは空中庭園でもあるが、セーヌ川を行き交う水上生活者の甲板の植え込みのようでもあるのだ。
壁に空けられた四角い孔は、風景画の枠でもある。冬の木の葉が落ちた季節には、この写真の枠の奥をセーヌ川が右から左に流れるのだ。その時に自分はセーヌ川を運行する汽船に乗っていて船の窓から風景を眺めているという錯覚が起こる。パリからノルマンディーへ行く高速3号線からもこの美しいセーヌの風景は見られる。しかしル・コルビュジェがこの印象派の風景を家屋の中に仕掛けたのは、建築家を超えた才能だと理解したい。
なんと美しい清楚な螺旋階段なのか。私はこれはレオナルド・ダヴィンチがロワール地方のシャンボールの城で設計したと言われる二重螺旋階段なのではないかと目を疑った。このように私が思えたのはこの螺旋階段が建物の中央に位置し最下位から最上階まで背骨のように貫いているからだ。そしてシャンボール城のそれと同じようにこの階段を中心にして各階の左右前後の部屋がつながっていることだ。さらに決定的なのは、最上階のテラスには雑草も含めて様々な植物や薬草や果樹があって、地上の庭を彷彿させていることだ。これは全くシャンボールの最上階テラスそのものである。そこにはサヴォア邸では壁に孔を開けて風景画を見せてくれるという趣向が、演劇的であり家屋の住む楽しさを演出している仕掛けが設けられていると思える。それは自然と人間の住む家との和解であり新たな創造だ。
螺旋階段というが、これは正確にはヘリコダイル式のつまりリンゴの皮を上から下まで途中で切らずに、包丁で丁寧に帯状に剥いた渦巻きバネのような状態なのである。つまり壁は無く円筒状の壁に支えられて立っているモンサンミッシェルや凱旋門のような螺旋階段ではないのである。だからこの点でもシャンボール城のヘイリダイル螺旋と相似しているといえる。もしかしてル・コルビュジェはダビィンチにヒントを得ていたのかもしれないと私は考えた。