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2017年2月11日土曜日

パリの観光名所の群集を爆弾テロ カミカゼ自爆テロの準備が発見

(パリ=飛田正夫 日本時間‎11/‎02/‎2017-11:21:23)16歳のイスラムに改宗した女性がイスラム国家テロリスト組織(IS)に命を捧げる準備ができたと顔写真いりの投稿がソーシャル・ネット・ビデオに8日に掲載されたのをフランスの警察がキャッチした。その周辺で高性能爆発物(TATP)を作るのに必要なアセトン(acéton)や過酸化水素(l'eau oxygénée)が買われていたのを、仏警察が9日に突き止めた。爆発物の素性が不安定なことから爆弾が早急につくられテロが実行されると見た警察は捜査を急ぐことを決めた。イスラムに改宗し過激化して警察には既知の20歳の青年が住むモンペリエ近郊のクラピィエー(Clapiers)のアパートを、急遽10日の朝に家宅捜査。浴室からはTATA火薬71グラムとアセトン1リットル、過酸化水素1リットルが見つかり、アパートのバルコニーには爆発材料がストックされていた。爆弾づくりの材料や必要な器具名が手書きで記載されたマニュアルや情報機器が押収された。20歳の男性は16歳の女性との結婚後にパリの観光名所の群衆の中で彼女を道連れにカミカゼ自爆する予定だったことが確実視されている。

2017年2月10日金曜日

ルーブル美術館テロ犯は美術品を破損したかった

(パリ=飛田正夫 日本時間‎10/‎02/‎2017-10:43:56)4日にパリのルーブル美術館の地下入り口付近で巡回警備の軍隊を手斧で襲って負傷させたエジプト人青年アブダラ・エル・アマミィ(Abdallah El-Hamahmy)29歳は6日にやっと話をしだした。イスラム国家テロリスト組織(IS)の指令で動いているのではないと話したことが、関係者筋の話で8日にわかった。ルーブル美術館に入り込んだのはここがフランスの中心的なシンボルであり、美術品を破損したかったからだと話したという。青年の持っていた二つのリックの中にはペンキ噴霧ボンベが入っていた。

2017年2月3日金曜日

ルーブル美術館で刃物で軍隊に負傷 犯人は腹部を撃たれて手当中

(パリ=飛田正夫)今から約2時間前の3日午前9時50分頃にパリのルーブル美術館のピラミッドのあるルーゼル付近で男性が警備の軍隊を刃物で襲って軽い負傷をさせた事件で観光客などが避難させられてルーブル美術館が閉鎖された。観光客やルーブル美術学校の生徒など他の人には負傷は無かった。犯人は他の軍隊により腹部に銃弾が撃たれ病院で手当てを受けている。犯人の素性や前科などがあるのか、犯行理由などをもっか調査中で、特にイスラム国家テロリスト組織(IS)との関係があるのかを調べている。国営ラジオ・フランス・アンフォが報道している。犯人は二つのリックを背負っていたが、その中に爆発物などは見つかってない。

2016年10月26日水曜日

米夫婦オルセー美術館に魅せられ ナビ派の絵画69点など600点のコレクションを寄贈

(パリ=飛田正夫 日本時間‎26/‎10/‎2016;‎‎-02:38:12)米国人マルリンヌさんと夫のスペンサー・ハイエさん夫婦はオルセー美術館に彼等の絵画・デッサン・彫刻など600点に及ぶコレクションが寄贈されることが発表された。その内の69点がボナールやヴィイヤー、ランソンなどのナビ派の絵画を含む187点で(現価格にすると15000万ユーロ約22億5千万円相当が第一期としてオルセー美術館入りする。その数に於いてまた均一さにおいてフランスの1945年以降の歴史では、外国人寄贈による最大規模のものとなったと21日に文化相から発表された。美と芸術擁護に尽力した功績を讃えレジョンドオヌール勲章が贈られることになった。

2016年7月18日月曜日

ル・コルビュジェの作品群 世界7カ国17点がユネスコの世界文化遺産入り

ル・コルビュジェ生誕100年を記念して建てられた
ドミニック・ペローの作品。バンド状の横長の窓と
デュプレックス構造が外からもわかる。
(パリ=飛田正夫)ル・コルビュジェの全世界7カ国に点在する建築群17点によってユネスコの世界文化遺産目録入りを果たした。日本の上野の山の国立西洋美術館もその一つで、その内の10点がフランスにある。この報道は国連組織の教育・科学・文化組織からイスタンブールでの第40回世界遺産会議が7月16日のトルコのクーデターで一時的に中断されたのが7月17日に再開されて、ツイッターでル・コルビュジェの入選が発表された。会の閉会はトルコのクーデターを理由に、20日閉会を繰り上げて17日に閉じた。ル・コルビュジェはスイス生まれのフランスに帰化した人で、フランスからはル・コルビュジェとオーベルニュ地方の火山地形がユネスコの世界文化遺産目録に候補としてあがっていた。ル・コルビュジェは2009年と2011年にも候補に登っていたが実現しなかった。コルビュジェの全世界7カ国に点在する建築群を集めての、今回の再度の挑戦であった。ドイツ、アルゼンチン、ベルギー、フランス、インド、日本、スイスの7カ国にあるル・コルビュジェの作品となっている。

2016年5月28日土曜日

マドリッドのプラド美術館でボッシュ死後500年記念展

プラド美術館で、プリミティブ・フランドル画家のヒエロニムス・ボッシュ(ボス)(Jérôme Bosch)の死後500年を記念した展示会が、2016年5月31日から11月11日まで展示されると27日に発表された。その内の21枚が絵で、8枚がデッサンで全体の展示の75%がボスの作品になるという。通常はマドリッド、ロンドン、ベルリン、パリ、ニューヨークなどに散らばっているもので一同に会して見る事ができる貴重な機会となっている。ボスの生誕地オランダのボワ・ル・デック(Bois-le-Duc)で展示会が2月から4月にかけて開催されていたが、プラド美術館などの主要作品は展示されていなかった。プラド美術館が世界最大のボスの作品を所蔵しているのは、16世紀にスペイン王フェリペ2世のコレクションによるところが多い。聖人画や悪魔の絵などに及ぶ幻想的創造的なこの芸術家は有名になる前に、彼を祖先の一つとするシュールレアリズムの芸術家によって、19世紀末に再発見された。

2016年5月20日金曜日

ル・コルビュジェ死後51周年 ユネスコの遺産登録で考えたこと 

ル・コルビュジェ死後51年 建築家の夢と人間の家 (1)

昨夜、ル・コルビュジェの夢を見たのです。それは近くにポワシ―という町がありその小高い丘の上に建築家の作った「サヴォワ邸」があるのです。その屋上から遠くセーヌ川の蛇行が、背景に白い岩肌やその石で作った家屋を背景に蛇行しながらゆっくりと流れているのが見えるのです。それを見に行こうと考えていました。何度か行ったところですが、この風景を屋上の壁をえぐった窓越しに見たのは一度だけなのです。非常に美しいのです。屋上にはル・コルビュジェ独特の白い壁が風景を遮っているのですが一か所だけその壁に大きな長方形の穴があけられていて、そこから印象派の舞台となったセーヌ対岸のコワッシー辺りの風景が見える。まるで額に入った絵を見ているようなのです。でもその絵は春の始まる前でないと近くの木の葉が邪魔して見えなくなってしまうのです。昨年はル・コルビュジェ(Le Corbusier本名はCharles Edouard Jeanneret)の死後50周年ということでもありフランスでは多くの企画があったようです。ユネスコの文化遺産推薦の17作品にこの「サヴォワ邸」が入っているのかどうかは知りませんが。世界に数多くある作品のほんの数点しかみてないのですが、これは、アルザスの丘の上にあるロンションの教会と共に良い作品だと思っています。NHKのこの解説では、「ピロティと呼ばれる柱で支えられた開放的な空間やらせん状の回廊、それに自然光を利用した建築様式など、随所にコルビュジエの特徴的な設計が施されています。」とある。調味料ではないのだから、それらの特徴が指摘されこれらを幾つか散らばめて利用した建築だからといって、それはル・コルビュジェにはならないのではないかと不思議におもったのです。

ル・コルビュジェ死後51周年 ユネスコの遺産登録で考えたこと 

オーギュスト・ペレの鉄筋コンクリートの技術的な枠組みから解放されていく方向で、プランリーブル、ピロティ、屋上テラス、居間がデュプレックス構造になっているとか、生活環境への適合とか云われて、ここの解説文でも指摘されている通りです。

ル・コルビュジェの生まれたフランスとのスイス国境のラ・ショードフォン(La Chaux de Fonds)に行って見ると、山間の傾斜に張り付いたような町で名前の通り白や黄色の漆喰で作られた家屋が多く、これが非常に印象的なのです。人が住むという問題を静謐な眼差して建築というものを考えた人ではないかと思ったわけです。確かに機能主義的な側面もあったかもしれないが、ただそれだけではこの芸術家は抑えることが出来ないと思っています。それは環境とその中にいる人間への深い尊厳に根差した人間の家を考えていたのではないかとも解釈できますが、まず住んで気持ちのよい夢がみられる楽しい空間がそこにあるということだと思います。



上野の国立西欧美術館 ル・コルビュジェの建築 日本的なもの普遍的なものの探求 (2)


ル・コルビュジェを考えていたのですが、ル・コルビュジェというのは、やはり、面白いのだと思ったのでした。彼が日本文化を本当に理解を示そうとしているのが感じられるのです。少なくとも日本的美を意識しこれをル・コルビュジェのコードで表現しようとしている。上野の山の国立西欧美術館が映ったシェアした写真を、しばらく眺めていた。これはパリ西部近郊のポワシー(Poissy)の町にある「サヴォワ邸」の仕掛けとまるで同じだ、という事に気が付いたのです。 https://www.facebook.com/masao.tobita.77/posts/784347068368975?notif_t=like&notif_id=1463512743279071


http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20160517/k10010524651000.html この長方形のキューブのような国立西欧美術館の建物ですが、正面の細長い壁の右端しにやや長方形の窓が一個付いている。実はこの長方形の壁面全体が立て看板のようなもので、壁面の後ろ側には部屋は無い、衝立のようなものだということなのです。単なる一枚の壁でしかなく、裏側に展示室などの部屋があるわけではないのです。そして正面から見た左側にある四角い窓は、すでに私がル・コルビュジェの作品「サヴォワ邸」でお話ししましたが、屋上テラスの壁につけられた四角の穴(開口部)でしかないのです。ここの上野の国立西欧美術館においても同じ様にたんなる壁面に空けられた長方形の穴であったという事です。わざわざそういう物を配置した意味は、既に「サヴォワ邸」の所でお話ししたので推測できますが、ここが美術館でその絵を飾る額縁を象徴したと見てほぼ間違いないのではないかと思っています。この美術館をNHKは航空写真で撮っていて、これを上空からの写真で見て、衝立の壁でしかなかったことを確認できました。


この手法は17世紀のパリの見栄を張った貴族相手に売ったブロカーが建てさせたパリのマレ地区のボージュ広場(王宮広場)の建築にも見られるもので、アーチテクト・エクラン(見せかけの立て看板建築)ともいわれそうなものです。それはともかくも、この国立西欧美術館における日本的なものを考える場合に非常に心打たれたものが二つほどありました。一つは正面からも理解できるように、建物を支えるピロティの空間では円柱が使われているのですが、よく見るとこの柱の上部と下部とがやや細くできている。柱身の中央部が太くできているのです。写真でも。このエンタシスを柱に仕込んでいるために、或る程度距離を持った所からは非常にスッキリとまっすぐに立つ柱になって写っているわけです。しかし実際の近景写真ではお腹が出たぶ細工な姿になっている。そこに人間の目の誤認や錯覚という弱さを逆手にとっての、前もって計算した、建物家の意匠があるわけで、建設する時に意識的にわざとズレや歪みを作っておいて、実際の人間が見る時にはズレの分が差し引かれて、美しく見えるようになるという手の込んだものです。そこにギリシャの建築家の素晴らしさがあるのです。


ギリシャ建築が美しいのは、人の目では長い平らなものは中心が窪み両端で跳ね上がり、上から下まで同じ太さの円柱では中心部が窪んでみえてしまうという人間の視覚の誤りや弱点を考慮にいれて、ある程度距離を持った下町のどこから見たら丘の上の上町である神域にあるパルテノン神殿は美しいのかを理解していたからです。そういう意味では人間主義的な下町的な建築だったわけです。同様に、この上野の山の美術館の屋根の広がりと、立看板的に造られた正面壁の左端の縦の線を見てみると、(近くにいる方は実際に足を運んで行って見てほしい。この写真は、建築家の使う特殊なカメラで実際の歪みが修正されていない様なので、このまま説明を続けたいと思うが)正面左側の端の角は、弓の様にやや反り曲がっているのがわかる。しかし建物の左端しの角では、この弓なりは余り感じられないはずである。これはギリシャ建築と同じで平らな長い屋根の様な直線は中央部が凹状になり、左右では凸状に反り上がるように見えてしまうからだ。


視覚に直線の歪みが感じられる度合というのは、見る人の位置と建物各部との距離で決まって来るわけだが、建築家はある場所からの見、見られるという場所を想定して、それぞれの柱や屋根などに、どの程度の凹凸を建築の中に準備するか計算し、エンタシスの強弱を決めるわけだ。


大切なことはギリシャではこれは、建築家が手をいれて先見的にわざと誤りの多い人間のために、美しく端正に見せるために計算した建築であったということである。ギリシャの古典はそういう意味で人間の問題での葛藤を、造形的な形相次元と人間能力のつまり知覚の問題とを調和させようと努力したのがギリシャの古典美であり建築美術での思想であったと言える。


そうい事もあってか、このル・コルビュジェの国立西欧美術館が最も美しく見える場所とは、もう少し離れた場所からの写真撮影が欲しかったということだ。建築における端正というのはそういう古典のことをいうのだと私は思う。中世のロマネスクやゴチック世界で忘れられたギリシャ的な古典美の再興がルネサンスでもあったが、これも17世紀のバロックでは廃れてしまった。新古典でも本当に美しい作品は少ないかも知れない。パリの歪んだマドレーヌ寺院などを見ればわかるが、何でも柱のお腹を太らせればよいというものではないのである。


ル・コルビュジェの狙った美とはそういうギリシャ的な古典美であって、なかなか真似のできないものではあるが、これはその昔シルクロードを旅してきた建築家がギリシャのエンタシスを日本の法隆寺の回廊などの建築に伝えたのかもしれない。あるいはもっと人類に普遍的な美の探求として日本古来から存在したのかもしれない。いずれにせよ、柱の膨らみなどはどの距離から見れば美しいのかということがあって、柱の腹部を見てエンタシスがあるので安定しているなどと錯覚して誤解してはならないだろう。ただ一様に、柱身の中ほどや屋根の中央部で高くなっているのを指摘するのではなくて、その意味が、それを見る誤り多い人間存在を考慮し尊重したものとして、ル・コルビュジェはこの美術館を、この美観の伝統のある日本に造ってみせたのだろう。




エリック・サティ生誕150年ノルマンディーの思い出 ブーダン美術館など

150年ですか。エリック・サティの家に行ったことがあります。ノルマンディーの16世紀の港、フランソワ1世が作ったルネッサンス時代からの港町の石畳を辿って行くと奥に海岸側ですがサティの生家が美術館になっています。このオンフルールで1866年5月17日に生まれたのです。階段を上がると二階に自動鍵盤のグランドピアノが彼の曲をならしています。この曲が奏でられていたのです。私はこれが彼の作品で一番いいと思っています。ほかのは余り好きになりません。Erik Satie - Gymnopédie No.1
https://www.youtube.com/watch?v=S-Xm7s9eGxU
黒いパラソルがあちこちにつるしてあり、梨の模型もつるしてある。雰囲気は非常に彼の作品に合っている。

2016年5月19日木曜日

ル・コルビュジェ死後51周年 ユネスコの遺産登録へ 上野の西欧美術館の窓や柱に日本的で普遍的なものを探求

(2016/05/19 3:38日本標準時)ル・コルビュジェを考えていたのですが、 ル・コルビュジェというのは、やはり、面白いのだと思ったのでした。彼が日本文化を本当に理解を示そうとしているのが感じられるのです。少なくとも日本的美を意識しこれをル・コルビュジェのコードで表現しようとしている。上野の山の国立西欧美術館が映ったシェアした写真を、しばらく眺めていた。これはパリ西部近郊のポワシー(Poissy)の町にある「サヴォワ邸」の仕掛けとまるで同じだ、という事に気が付いたのです。 https://www.facebook.com/masao.tobita.77/posts/784347068368975?notif_t=like&notif_id=1463512743279071http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20160517/k10010524651000.html この長方形のキューブのような国立西欧美術館の建物ですが、正面の細長い壁の右端しにやや長方形の窓が一個付いている。実はこの長方形の壁面全体が立て看板のようなもので、壁面の後ろ側には部屋は無い、衝立のようなものだということなのです。単なる一枚の壁でしかなく、裏側に展示室などの部屋があるわけではないのです。そして正面から見た左側にある四角い窓は、すでに私がル・コルビュジェの作品「サヴォワ邸」でお話ししましたが、屋上テラスの壁につけられた四角の穴(開口部)でしかないのです。ここの上野の国立西欧美術館においても同じ様にたんなる壁面に空けられた長方形の穴であったという事です。わざわざそういう物を配置した意味は、既に「サヴォワ邸」の所でお話ししたので推測できますが、ここが美術館でその絵を飾る額縁を象徴したと見てほぼ間違いないのではないかと思っています。この美術館をNHKは航空写真で撮っていて、これを上空からの写真で見て、衝立の壁でしかなかったことを確認できました。

2016年3月30日水曜日

新装のポン・タヴァン美術館 ゴーギャンの「雪のブルトン村」も展示

(パリ=飛田正夫2016/03/30 9:53日本標準時)3年後に新装になったポン・タヴァン美術館が再開する。ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin 1848-1903)の作品が少ないためにオルセー美術館は2枚の有名なゴーギャンの絵「雪のブルトン村」(Village breton sous la neige 1886)と、「ポン・タヴァンのラベンダ畑」(Les lavandières à Pont-Aven  vers 1894)を展示できるように貸し出した。ゴーギャンはこのブルターニュのフィニステール(Finistère)地方南部のポン・タヴァン(Pont-Aven)に1886年から1894年にやってきた。ポール・セルジエ、エミール・ベルナールなどの画家たちと共に、後にポン・タヴァン派と呼ばれるようになる絵画の流れ(1888-1894)を生むことになる。ポン・タヴァンは、コンカルノー(Concarneau)から20分ほどだ。画家たちはポン・タヴァンの人間味のある旅籠めいた木賃宿が気に入った。画家たちは宿賃を描いた絵で支払っていた。画家たちはこの土地の風景のバリエーションと伝統的な服装や髪飾りなどに魅了されていた。特にJulia Guillouという田舎旅籠の歓待の良さが気安く泊まるのに気に入られていたという。この時代は構成力の弱い印象派から次第に画家たちは遠のいていく時代で、個々の色のビブラションの手法を去ってより客観的な原色の色彩面割へ向かう傾向にあった。つまりこうすることで印象派が得意でなかった精神的な思想や内面の感情の表現を描こうとしていたのである。具体的には遠近法を使わずに、モチーフとなる対象物を色彩面で分割しその周囲を暗く抑えるといった描き方だ。

2016年3月10日木曜日

レンブラントの2枚の絵が ルーブル美術館の共同購入で初展示 

(パリ=飛田正夫2016/03/10 23:11日本標準時)レンブラントの2枚の絵をルーブル美術館とオランダのアムステルダムのライクス・ミュージアム(rijksmuseum)とで共同購入し、その初展示式がルーブル美術館で10日午前中にオランダ国王夫婦とオランド仏大統領とが出席して行われた。絵は6月13日までルーブル美術館でこの2枚の絵は17世紀イタリア絵画のある部屋(Salle Rosa)に展示された後に、修復のためにライクス・ミュージアムへ送られる予定だ。絵はロスチャイルド(Rothschild)側の提示する16000万ユーロ(約240億円)という膨大な金額のためにルーブル美術館は購入することができなかったが、ヨーロッパでは初の共同購入方式で可能となった。絵は今後は両美術館でそれぞれ半年ぐらいづつ交代で展示されることになるが、この夫婦の絵はいつも一緒に展示されるという。

2016年2月20日土曜日

パリの美術商を監禁・拷問した サド・マゾクラブ元社長 エマニュエル・サドに10年の禁固刑 

(パリ=飛田正夫2016/02/20 20:30日本標準時)パリ裁判所は19日に3人を禁固刑3年から10年の判決をだした。パリの美術商をその地下に閉じ込めて金や宝石を盗む前に7時間に渡り監禁と拷問をしという2014年2月21日夜から21日にかけて起こった事件だ。サドマゾ・クラブの前社長で主犯のエマニュエル・サド(Emmanuel Sadot)47歳は、1年後の今日19日に、裁判で10年の禁固刑が決まった。猿ぐつわをさせて、指をペンチで挟み出血させる拷問など非人間的な行為をした。サドの仲間たちにも3年から7年の禁固刑と共に医療司法禁固が適応された。なお性的暴力を表す言葉となったサディズムはマルキーズ・ド・サド(Marquise de Sade)の文学作品と関係づけられて彼の死後1893年頃に現れたもので、この事件での犯人の名前とは無関係である。

2016年2月15日月曜日

パリの簡易美術館ピナコテックが経営不振で封鎖

(パリ=飛田正夫2016/02/15 19:15日本標準時)パリのマドレーヌ寺院の後ろに出来たばかりの簡易美術館ピナコテックの封鎖が決定した。パリの中心街で家賃が高いことと、パリ同時テロ射殺事件の影響が既に現れて客足が激減したのが封鎖の原因だという。このピナコテックはドイツなどにある美術館とは異なっていていわゆる展示会を中心にしたテーマ美術館であった。ムンクやルオーなどの展示会や、最近はカーマ・スートラとか芸者などをテーマに展示会を行っていた。ブティックなどもあったが展示会と同じくありきたりのものしかなく特異なものではなかった。パリにはルーブル美術館やオルセー美術館や現代美術館があり、特にこの美術館が存在する意義は、商業的な儲け以外に文化的な意義などは見いだせなかったのが一番の封鎖の理由だろう。昨年はこのピナコテックが文化的活動をしているにもかかわらず、警備員の給料が3カ月も滞り支払いを拒否したために警備員のストで一時封鎖されている。現在の封鎖の原因がそのあたりに存在するという見方もある。

2015年10月14日水曜日

「パブロ・ピカソ」か「藤田嗣治」か 戦争ファシズム批判の画家

「朝鮮動乱を描いたパブロ・ピカソの絵」(ピカソ美術館)
11月に「FOUJITA(フジタ)」という映画が上映されるらしい。http://www.nhk.or.jp/catchsekai/marugoto/2015/10/1005.html  藤田嗣治は軍閥の家族達の後建てによって軍の美術協会長になったので、別に絵がうまいわけでもなかった。芸術家というのはあるいは思想家というのは反権力でなければいいものができないのは不思議だが真理である。フランスのシャンパーニュ地方のランスにある礼拝同の壁画も大したものではないと思う。従軍画家とは戦争のプロパガンダであり、これを否定することとなると、藤田の家族の軍閥全部を否定することになるだろう。戦時とはそういうことなのだ。彼の場合には。同時代人のパブロ・ピカソと比較するまでもないが、反戦とか社会の悲惨や不平等に対する犠牲者である民衆への暖かい眼差しを感じる絵があるのだろうか。今、パリのグランパレでは、「ピカソ・マニア」展が開催中だが、キュビズムの最初の作品「アヴィニョンの娘たち」も、 残念ながら反フランコ将軍のファシズムを批判した「ゲルニカ」も来ていない。(パリ=飛田正夫 2015/10/14 1:49日本標準時)
この「ゲルニカ」の絵はパリのサンミッシェル広場に近いグランドオーギュスタン通りの屋根裏で描かれた。そこが修復されて訪問ができるようになったが私はまだいってない。


「朝鮮動乱を描いたパブロ・ピカソの絵」を、建物や展示のコンセプションが変わってから開館されて間もないマレ地区にあるピカソ美術館(サレ館)を訪ねた。その時の写真を掲載した。当日、この絵の前にはたくさんの人が、遠い国の不思議な情景をじっと長時間にわたり見入っていたのを記憶している。


この絵は、独裁者によって命令されたのか顔のない兵隊たちの銃剣が婦女子の前に立ちはだかって描かれている。崖の下には遠く蛇行して河が流れていて、その左側には恐怖に逃げ惑う子供と悲嘆にくれる殺戮前の妊娠した婦人らが描かれている。子供を抱きしめる母親の手が顔が凄い。こんな迫力のある絵を、藤田は反戦画家として描いたとは思われない。描く立ち位置が違っているのである。


ピカソの100分の1も描いてはいないと思う。それどころか従軍画家などはそれで食べ生活をしているのだから反戦の意識もなく戦争を憎むことをしないだろう。そういう人間性もないところにはピカソのような絵は描けないのである。藤田が国家の従軍画家として、犠牲者たちの苦しみや悲惨をどのようにして描けるというのか?私には理解できない。反戦思想の無い藤田などを使った戦争賛歌の映画になっていないことを希望して、日本で映画を見る方にも、藤田と同時代に生きたピカソの反戦の絵と比較されて、批判的に見られて欲しいものである。


【参考記事】http://www.nhk.or.jp/catchsekai/marugoto/2015/10/1005.html

2015年9月24日木曜日

印象派の舞台 セーヌ河畔のポワシーに ル・コルビュジェのサヴォア邸

19日の午後にル・コルビュジェのサヴォア邸を訪ねた。天気はよくて秋の気配はとっくに始まっているイルドフランスの風景は素晴らしく、雲も風も木々の緑も美しい。私はふと印象派の画家の舞台となったシスレーやモネが描いたセーヌ川河畔のマルリーやアルジャントゥーユなどの絵を思い出していた。古い時代の梨やリンゴの品種を保存している梨やリンゴ園がポワシー周辺にはある。この辺はサンジェルマン・アン・レイの森の続きで松や樫や栗の木が多い。ル・コルビュジェのサヴォア邸の建築は印象派ではないが、建築の印象派なのではないかと思うところがあるのだ。(パリ=飛田正夫15年9月21日 1:37 )

2015年9月23日水曜日

オルセー美術館がスト ベルエポックの「売春婦たちの華麗さと悲惨」展を前に 

9月22日のオルセー美術館は休館となった。もし労働総連合(CGT)のストライキが明日まで続くと、予定されていたパリの華やかなベルエポックの時代に売春婦たちがどのように描かれていたのかを企画した新展覧会「売春婦たちの華麗さと悲惨」展が明日は見られなくなる。CGTの文化部は明日の開会日をまえにその準備の仕事を停止しているからだ。ストの理由は、ルセー美術館が一週間、毎日休み無く開館することになるためだ。(パリ=飛田正夫 2015/09/23 2:14日本標準時)

2015年9月6日日曜日

「泥棒の女王」がパリ裁判所に ルーブル美術館で狙われ、ベルサイユ宮殿の監視員も盗みの手伝い

パリの有名観光地であるエッフェル塔やルーブル美術館・オルセー美術館。パリ郊外のベルサイユ宮殿などでスリが多発していて2013年4月にはルーブル美術館の職員がこれに抗議してストを決行して大騒ぎになっていた。ベルサイユ宮殿では泥棒と結託した監視員がいて報酬を受け取っていた。このたびパリ軽罪裁判所でルーマニア人など17人が9月半ばまでに裁かれることになった。(パリ=飛田正夫 2015/09/06 8:13日本標準時)

2015年5月28日木曜日

フランスの美術館にも「黒い企業」が パリ「ピナコテック」の警備員の給与が支払われず封鎖


パリの特設展示で興味深い美術館「ピナコテック」の警備員の給与が支払われてなく、これに抗議し28日(木)に封鎖された。同美術館はパリ市内のマドレーヌ寺院広場の一角で私企業として文化活動を最近(2007年)開始したばかりだ。「ピナコテック」美術館を訪れる人々は高い入場料14ユーロ(約2000円)を支払っているにもかかわらず、こうした警備員などには賃金が正当に支払われてない。土建業界などにしばしば見られる闇労働と同じ扱いで、これではフランスの文化を展示紹介する資格はないだろう。こうした黒い企業は文化事業をやるべきではないと思われる。

2015年4月2日木曜日

ル・コルビュジエの死後50周年 サボア邸で思う 作品回顧

ル・コルビュジエの死後50周年に今年が当たるということをパリの西部サンジェルマン・アン・レイ近くのポワシー市にある同氏の作品サボア邸に行った時にしった。夕刻で17時少し前であったが扉は閉まっていた。彼の生まれた黄色い石灰の家並みが山麓にひろがるショードファンの町や山の上の教会のロンションや日本の上野の山にある美術館など彼の作品はあちこちで見た。しかしサボア邸が私の気に入る理由はいろいろあるがやはり何度も見ているためかもしれない。屋上の上からはコワシー・スール・セーヌの丘の下を蛇行しながら流れるセーヌ川が見える。これは非常に景観が美しくこのサボア邸を引き立てている。死後50周年。わたしは、ル・コルビュジエのパリの作品を回顧してみようかと思っている。

2015年3月24日火曜日

チュニジアのバルドー美術館でのテロ犯行は3人

チュニジアのバルドー美術館でのテロ犯行は3人で、現在1人は逃走中であることが監視カメラから断言できるとチュニジアのエセブジィ大統領は22日に発言した。このテロの最中にイスラム国(EI)の犯行声明がなされていた。犯人の2人は警察にその場で撃ち殺された。3人目は近くに潜んでいると考えられている。