2015年10月26日月曜日

仏移民郊外青年暴動10周年 クリシー・スール・ボワ変電所飛び込みで 家族は「救済義務」を警官に要求

石板が置かれた第5回目の追悼記念式。
(写真は筆者撮影)

 10月27日で10周年を迎える、2005年10月27日パリ北東部郊外の移民の町クリシー・スール・ボワ(Clichy-sous-Bois)で3人の少年が警察に追われフランス電力の変電所に飛び込み、その内のブゥナ・トラオレ(15歳)君とジィエド・ベナ(15歳)君の二人が感電死した。明日、この事件は10周年を迎える。家族側は、いまだに誰一人として警察側は逮捕されてない。そこにいた2人の警察には子供が危険な変電所に駆け込むのを止める救助義務があったはずであるとその責任を訴えている。家族は警察が処罰されずに仕事を続けていることに、疑問を抱きながら悲しんでいる。(パリ=飛田正夫 2015/10/26 20:03日本標準時

(3人が逃げ込んで感電死した変電所の墓側から。
写真は筆者撮影)


国営ラジオ・フランス・アンフォでは、ニコラ・テイヤーアナウンサーは、いち早く駆け付けた二人の証言を紹介した。しかし死んだ後の消防隊が駆け回っている状況を見たとかの証言ではなくて、そこに当時はあったフランス電力のビル(現在は図書館)の社員とか、人家があったのだからそこに住んでいた人など現場を見た証人がいるはずである。

この時の警察や起動隊を指揮していたのが、移民嫌いのサルコジ内相であったことがなおさらのこと悲劇の印象を強めている。

少年たちの死に抗議したフランス全国の移民の子弟たちは、3週間にわたってフランス中を震撼させた事件で、全国300の市町村で同様な移民青年の暴動がここから波及して、車は9000台が焼かれた。


  ブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の二人が警察に追われて逃げ場を失って変電所内に入り感電死したのは、旧変電所関係の建て物があったその前で警察官たちが変電施設のある反対側へ抜ける道路を塞いでいたからだと遺族の弁護士は私しに話している。少年たちは藪の木立の坂を下ってから、危険な変電施設のある塀をよじ登ることになった。

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