2016年1月18日月曜日

イラン原子力制裁処置が撤廃 イスラエルとサウジアラビアが批判

(パリ=飛田正夫2016/01/18 1:26日本標準時)2013年秋に始まった米国とイランの原子力交渉は18カ月間に渡り秘密裡になされてきて、昨年7月14日のウィーン合意で具体化していた。その施行が1月16日からなされ引き換えに、イランへの経済制裁処置を取りやめることが国際原子力機関(IAEA)によって始動した。これと引き換えにイランは原爆を持たないことを保証することになる。16日に米とイランとの捕虜交換宣言もなされた。イランのハッサン・ロアニ大統領は神にひざまづいてイラン人民の忍耐ある偉大さを讃えた。ロアニ師は平和について語り、我々イラン人は平和の手を世界に差し伸べて、総ての怨念や敵愾心や疑いを我々の後ろに置かなければならない。イランと世界の新たなページの関係を開いてゆこうと述べた。この合意によってイラクが世界政治の檜舞台に登場するとして喜んでないのが、イスラエルとサウジアラビア王国である。このことでイランは貿易や送金がより簡単になる。原油の輸出が拡大することになり、市場での競合国であるサウジアラビア(Arabie saoudite)王国からの批判が起きている。米とイランとの接近が、米国の歴史的連合国であるサウジアラビアとイスラエルが、米国との関係破壊を引き起こすと批判されている。米国のオバマ大統領の側近によるとイランと、それに敵対するサウジアラビアとのバランスを取っていくことは可能だという。

シリアのように国家破壊をさせないためにも、この方面での戦争を終結することが望まれる。しかしスンニー派のサウジアラビア(Arabie saoudite)王国とシィット派のイランが、シリアやイラク、リビア、イエメンでの紛争に関わって対立し争っているために、この米国の方策はサウジアラビアを満足させないとの見解もある。

米のイランとの国交断絶は1980年で、1979年にイラン革命があった。ゴルフ湾岸の安全のためにニクソン米大統領が70年代に、イラクとサウジアラビアの両国を支持したような政策への回帰がなされると見られている。

イランへの制裁処置は米国が1979年に、国連が2007年に、欧州共同体が2007年にそれぞれ発動したが、2013年に合意案が具体化してからは部分的に軽減されてきていた。

【参考記事】

http://fr.euronews.com/2016/01/17/nucleaire-iranien-la-levee-des-sanctions-une-glorieuse-victoire-rouahni/

http://www.franceinfo.fr/actu/monde/article/nucleaire-iranien-accord-entre-en-vigueur-levee-des-sanctions-internationales-759123

http://www.leparisien.fr/flash-actualite-monde/nucleaire-iranien-un-degel-usa-iran-au-detriment-de-l-arabie-saoudite-17-01-2016-5458679.php
http://www.latribune.fr/economie/international/tout-savoir-sur-l-accord-sur-le-nucleaire-iranien-543348.html