(パリ=飛田正夫
2016/02/22 17:10日本標準時)ナチスドイツのトレブリンカ強制収容所にいた最後の囚人であったサミュエル・ヴィレンベルグ(Samuel Willenberg)氏93歳が死くなったと20日の国営ラジオ・フランス・アンフォが報道。葬儀は21日だという。このポーランドのユダヤ人絶滅収容所に連れてこられたのは同氏19歳の時であった。他の収容所に監禁されている仲間数百人と共に1943年8月に蜂起を企て、収容所の一部に火を放って脱走した。ナチスの反撃する砲弾の中で多くの人々が死んだ。サミュエル・ヴィレンベルグ氏も足に銃弾を受けたが生き残った。1950年にイスラエル難民となり現在は定年退職していた。同氏の経験してきたユダヤ人大量虐殺の精神的痛手と結びついた多くの著作や彫刻による証言を残している。また同氏は毎年行われる大量強制連行虐殺のショウワ(Shoah)を追悼する日にイスラエルの青少年たちをトレブリンカ強制収容所に同行して来ていた。サミュエル・ヴィレンベルグ氏の子孫は、彼が描いた記念碑が建設され彼の夢が実現したと語っている。
トレブリンカ強制収容所はドイツ国境から東に約500キロの地点にあり、ポーランドの首都ワルシャワの北東約100キロにありマルキニア(Malkinia)の町の近くにあった。1941年にポーランドからのユダヤ人の囚人労働を目的に開設されたもの(Treblinka I)。その後一年もたたずして、その2キロ近くに絶滅収容所(Treblinka II)が、ベウジェツ(Belzec)強制収容所、ソビボル(Sobibor)強制収容所をモデルにして駅の乗り換え所のように作られた。1943年の蜂起のあとは解体されて農場のようにカモフラージュされていた。トレブリンカ強制収容所はアウシュビッツ収容所に次ぐ大きなもので虐殺されたのは殆どがユダヤ人で70万人から100万人だと言われている。
【参考記事】
http://www.franceinfo.fr/actu/monde/article/le-dernier-revolte-du-camp-de-treblinka-est-mort-93-ans-768459