2016年7月28日木曜日

何故フランスがイスラム主義者のテロに狙われるのか?

7月27日22時05分頃撮影。三色旗の色に染まった国会。
小乗経の世界では250の戒律を保つ僧は大僧都となるのですが、普通一般の罪深き人間は、貪(むさぼり)と、瞋(いかり)と、癡(おろかさ)の中で溺れに溺れて苦しんでいるのです。ですから迷いがあり苦しみがあり六道輪廻なのです。テロリストの暴力を受けなければならないのです。さきほどパリのグランブルバールを車で流してきましたが、テロで少なくなったといえども、セーヌ河畔を行き来するバトームーシュや町の繁華街には飲食し歓談する人々は溢れていました。ですからまたこういう処でテロが起こるのは確実です。


今のメディアが騒いでいるのは、何故フランスが狙われるのか?とダエッシュ=イスラム主義国家テロリスト組織(IS)のテロの目的は何なのか?などです。フランスが狙われるのは、自由、平等、博愛を主張して引き下がらない世界で只一つの国だからす。これは前に2015年1月初旬に襲撃を受けた風刺週刊紙チャルリー・ヘブドのジャーナリスト殺害事件では、日本の新聞メディアや有名な漫画家などが、イスラム主義者を批判し過ぎるからやられるのだと言ってフランスを批判していた。その時に私はそうではないと書いたのです。ISの目的はなにかというと、これはヨーロッパの価値である自由とか平等思想を破壊することだと思います。民主主義もその破壊の対象でしょう。

ヨーロッパでは機能障害を起こしている民主主義ですが、これもISは嫌っているわけです。民主主義反対なのですから、これを否定する方法は暴力なのです。テロで闘うわけです。この暴力はイスラム主義者だけにあるものではなくて、キリスト教徒にも我々の中にもあるわけです。釈尊が多くの難を受ける中にやはり大石を投げられて殺害されようとしたことがあったのです。人間の中にそういうテロ行為を起こす心が何処でもあるのです。人間であれば誰でもがテロリストになりかねないのです。成りたくはありませんが、今は特にそういう可能性をもっている時代です。イスラム主義者だけでなく、フランス人も日本人のテロを行う事になってくる。


先日、近くの森の中を歩いていて、2匹の犬に襲われました。飼い主は犬に紐をつけてなく、この2匹の犬はそれぞれ別々の飼い主だったのです。私は身を守る為に、襲い掛かる犬の顎を足で蹴りました。こわかったですが、うまく当たったので、犬はひるみながら飼い主の方に逃げていきました。初めて知りましたが犬はそういう性質なのでしょう。だからと言ってまたうまくいくとは思えません。やはり獰猛な犬は私にとっては怖いです。

まずいと思ったのか、その飼い主は颯爽と犬を連れて逃げていきました。もう一匹の犬の飼い主は、私の挙動に驚いて犬を呼びました。犬は後ずさりしました。この森には犬を散歩にさせに来る人は多いのですが、立札が立てられていて、紐をつけることが義務づけられているのです。最近ですが、子供が顔を噛まれて死亡した事件がありました。フランスではよくそういうことがあるのです。

社会契約は動物や犯罪人やテロリストの場合には、紐や電子ブラスレットをつけたり、牢獄につないだりしておく必要があるのです。社会契約というのは人間と人間の約束を守れない人、こらは大変に困難なことですが小乗の僧侶の戒律から比べれば困難なことではないのです。犬やテロリストの修羅界や餓鬼界や畜生界の人間には当てはまらないユートピアの世界なのです。「イスラム主義」の社会には神の世界との約束はあっても人間と人間との契約がないのです。非人道的な戒律は神が創ったものです。イスラムとキリスト教世界での信者の違いは、神が人間の絶滅や破壊を命令しているのを受け入れるが受け入れないかにありますが、それだけではなくて、キリスト教徒にもこの人殺しを行う可能性は人間そのものに有り得るということです。ですから現代の民主主義というのは、暴力者や犯罪者や、そしてテロリストを繋ぐ監獄無くしては存在し得えない世界なのです。それはいわゆる総ての意味で人間一般を理解できていないからでしょう。

少し脱線しましたが、7月26日にルーアン近くのサンテ・エチエンヌ・ドゥ・ルーヴレー(Saint-Étienne-du-Rouvray)の町の教会で、2人のISテロリストに襲撃され僧侶(86歳)1人が刃物で首を切られ死んだのです。夫婦でミサに来ていた信者の男性(86歳)も重傷を負って生死の境にあった。犯人2人は教会を出た所で警察に射殺されたこの事件でも、フランス深部へのテロリストだなどと批評を加える人はいるのです。しかし現実のフランスはというと、この田舎の町にも、今はイスラム教徒の立派なレンガ造りのモスケ(イスラム寺院)もあるのです。このカトリック教会には朝のミサにいたのは、司祭側4人と信徒側2人の合計6人しかいなかったということです。イスラム寺院は日に3回も多くの人で賑わっているのです。ここがメディアでは全然指摘されていないフランス国内の宗教事情なのです。

フランスのカトリック教会への信徒は5%から7%ですが、イスラムは6割から7割以上が熱心な信徒なのです。ですから「宗教戦争」を掻き立て騒ぎ立てて政治的にこれを利用しようとするのは、ペンの極右派系国民戦線(FN)やフランスを分裂させて漁夫の利を得ようと駆け回るサルコジや南仏ニースのクリスチャン・エストロジィだということです。

キリスト教はですから事件が起こった後で、イスラム教徒を批判などしてないし、イスラム教徒もキリスト教徒を批判などしてないのです。どうしてかというと、これらの11月13日夜に起きたパリ及びサンドニ競技場近くでの同時テロ射殺事件や7月14日夜のニース市84人大型トラック殺戮事件など一連のテロ事件で、フランス共和国の価値であるみんなが一緒に仲良く暮らす共和国の政教分離(ライシテ)の精神を保持したいと考えて、分裂させる罠に警戒しているからです。だから、このフランス人を分裂させる動きが心配なので、フランス政府に対して、更なる警部や警戒を要請しないといっているのです。(パリ=飛田正夫)(文字数⇨2480)(最終変更=日本時間⇨2016年7月28日午前11時6分))