2016年7月29日金曜日

ルーアン司祭首切りテロで サルコジは「グアンタナモ」的収容所建設を提案

(パリ=飛田正夫)7月27日のルモンド紙のインタビューに答えたサルコジ前大統領の話が掲載されている。サルコジは、フランスは現行の憲法規範枠を遵守していてはならない。「無罪推定」の原理は据え変えなければならないと主張した。サルコジは前日の7月26日朝にルーアン近くのノルマンディー・ルーヴレーの町で起こった司祭首切り事件を捉えて、フランス在住のフィッシュS(危険視される個人カード)を持つ青年が、このテロ事件を犯したのであって、司法監察下にありながら、シリアへ聖戦主義をやりに行こうとした青年だ。自由にさせていたからこのようなテロが起こったのではないか?とサルコジは疑問視している。「日曜新聞」(JDD)によれば、サルコジ氏は最近の発言では、このようなテロの可能性のある者の収容所建設を提案していて、いくつかの点で、米国攻撃のテロリストと見なされる者を収容するキューバに建設されたグアンタナモ(Guantanamo)収容所に似ているとっている。


サルコジが言うのには、我々は戦争の中にいて、その戦争には無罪の者と有罪の者がいて更に灰色の者がいるという。その灰色の中に(テロ)行為を起こさない潜在者がいるというのである。サルコジは、もし民主主義が市民を守らなければ、市民は民主主義を信じなくなるだろうと話している。サルコジは灰色が黒色の方に近いと見ているようだが、灰色は白色にも近いのである。白色の中に灰色があり黒もあることを知らないのだろう。

灰色のイスラム主義的人間は潜在的に危険なテロ行為に及ぶ可能性があるので、自由にしておかないで、どこかに監禁してグアンタナモ状態にしておくというのである。人権の国であるフランスはこれを許してはならない。罪を犯してない灰色や黄色を敵対視することはフランスを分断することだ。敵か味方かの二元論というのは独裁者の論理であり、民主主義ではないだろう。

サルコジは、我々の体制は、将来にテロ行為を起こす可能性がある者よりも、犠牲者となるだろう人々を保護すべきだと語り、近代人権の基本である「疑わしきは罰せず」の「無罪推定」の原則を否定しようとしているようだ。

27日に、トビラ前法務大臣がフランスでの刑務所に関しサルコジ前大統領がルモンド紙で話した数時間後に、反論を出して話題になっている。

(文字数⇨945)(最終変更=投稿日本時間 ;2016/07/29午後12時22分)

【参考記事】
http://www.lemonde.fr/politique/article/2016/07/27/saint-etienne-du-rouvray-nice-nicolas-sarkozy-demande-la-verite-au-gouvernement_4975161_823448.html
http://www.huffingtonpost.fr/2016/07/28/taubira-sarkozy-critique-ancienne-ministre-justice-apres-attentats_n_11235176.html
http://www.atlantico.fr/pepites/terrorisme-garde-sceaux-en-prend-nicolas-sarkozy-2777345.html