頭の転倒した人が日本にはたくさんいるようです。言論、思想、信仰の自由というのは自然権なので法律や憲法に先立つ権利なのです。ですから日本国憲法で縛ることなどはできないのです。人間の生存権や言論、思想、信仰の自由というのは自然権から発したものなので、一国の法律や憲法に先立つ絶対的な権利なのだということを忘却して論議して、或いは忘却させようとして騒ぎ立てているということなのです。この創価の三色旗を振って騒げば騒ぐほど日本国民の眼は曇り思考は狂わされて、治安維持法の反対・賛成の誤れる土俵の中に引きずり込まれてしまうということです。これ等の自然権を改変できると、そう考えている人が自民党だけでなく反対派にも多いようですが、それは誤りなのです。日蓮宗一派というのは創価学会と一緒であって、これら日蓮宗一派と日蓮正宗とは全然似ても似つかわない別の宗教なのです。ですから日蓮系の僧侶と三色旗を振る創価学会員がいっしょに安倍に対し抗議しているという姿は、実は一寸理解に戸惑い不思議さを感じるものなのです。が、ようするに創価学会の一部会員と日蓮宗系僧侶とが一緒になって、自民党と公明党を批判しているわけです。ここで創価の三色旗を振っているのは創価学会の造反組が牧口常三郎の死が治安維持法の国家弾圧によっているのに、自民党を支持するお前たち創価学会・公明党は牧口を死なせたその弾圧法を、今に再度施行しようとしているが、それは師に背く恥を知れというわけである。ところが戸田城聖の『人間革命』を見てみると牧口は日本軍国主義に反対などしてはなくて、むしろ日本の戦争に協力的な発言があったことが戸田の筆で何箇所かに書かれているのである。ですから、この問題は、初めの所で言ったように、創価学会や日蓮宗系の僧侶が治安維持法の反対を声高に主張するのは奇妙で変だということです。ここでの三色旗を振る創価学会員や日蓮宗系僧侶の発言は、結果的に治安維持法論議の火に油を注ぎそれを後押しする結果を狙っているということです。池田大作の世界平和論というのもこれと同じで、ここでも法然先生の域を出ていないというのはそのためなのです。これでは世界平和を主張しながらかえって戦争を起こす原因になるということです。
これは牧口や戸田が、「一宗派の存命よりも国家の衰亡を心配するのだ」として、日蓮大聖人の「立正安国論」を逆さ読みして、国家諌暁と騒いだからなので、この法然の逆さ読みの主張を糾さずに池田が受け入れて継承したところに現在の創価学会の誤りの元凶があるのです。