2017年6月28日水曜日

憲法9条論議は日本人の精神構造とも関係か 吉田満の「戦艦大和」(角川文庫1968b年)を読んで

吉田満の「戦艦大和」(角川文庫1968b年)がたまたま家にあったので読んでみたら、日本人の主体性ということと憲法9条論議とが無関係ではないと思えたのです。この吉田という人は平の兵隊ではなかったのですね。この本の中に上官を見たら敬礼をし、その後ろ姿を見た時も敬礼をせよと命じらた話しがでてきます。この敬礼を回避したことで鉄拳を浴び、敬礼を何度もさせられてどうだ気持ちがいいだろうと言われて頷く場面がある。さらに上官の意に叶わない者は精神棒というのがあってこれで叩かれる。どういうことかというと吉田が指摘しているのではないが、私にはこれは平の兵士の思考のアイデェンティティーを滅却させる道具であって、これが戦艦大和の密室の中だけでおこなわれたのではなくて、日本社会の鎖国的封鎖状況の中で一般的に長い間行われてきたものであったと感じたわけです。上意下達を受け入れこれっぽっちの個人の反抗精神の芽を摘み取ってしまった社会をそこに見るのです。

日本の憲法9条が生まれたのは自由な批判精神の上に出て来たものではない。この上位者が、奴隷のような自己の精神を持たない薄のっぺらな表情で自己を徹底的に消滅させ感情を隠すことを鉄拳や精神棒の暴力で教え込い込まれた奴隷に与えたものだった。そういう島国日本の精神土壌で日本人一般は、自己の思想や個性を持つことを嫌い上位者の言いなりになっていた。戦艦大和は南洋で沈没したのではなくて、わずかに九州沖を過ぎたところで米海空軍にもろくも射止められてしまう。吉田は長時間かかって沈没した時間的経過に触れ、それが僅かに20分程に感ぜられたと述懐している。これは戦艦大和が米軍の支配する沖縄へ片道だけの重油しか持たないで出航し、沖縄までの何十分の一という距離しか行かない所で、さも南洋の彼方で沈んだかのような印象とも関連している。時空間の喪失性は浦島太郎の住んでいた島の世界観の特徴だともいえるが、そこに一種の島国日本と同様な孤立した情報が極度に逼塞した密室化の戦艦大和の存在が重なって見えるのであった。上意下達の暴力世界が戦争を進めたことを容易にさせるのだ。
憲法9条論議はこのような日本社会での延長にあるように思えるのです。吉田は戦後帰還して息子に銀行だけは行くなと言ったということで、それが先見性があったと評する人もいるようだが、本当は吉田は息子に戦争だけには絶対に行くなと何故言うことができなかったのかということです。彼の意識が自己の戦争責任や戦争反対を心から感じてないわけで、それは戦艦大和が攻撃を受けて危なくなった時点で初めて艦長が作戦中止を命じ若いものは海に飛び込んで逃げることを命令する場面となり、この判断を何故もっと前に、闘い破れることを承知しながら死の出航をし、下士官たちも何故この命令に疑問を挟まないで受け入れたのか。憲法9条論議は日本人の精神構造ともつながっているようである。