日本の神道やパキスタンで今も信じられている仏教以前の反仏教的なブラーフマンの思想にはそういう現世を否定する、つまり人間の現世の生を簡単に否定して見せる教えがあるようです。そういう所では人間の戦争やそこでの死は重くはないのです。一回期だけのこの世の人生というのは非常にヨーロッパ的でありキリスト教的なのですが、神道や念仏思想にもこれと同様にこの地上の生命を軽視するところがありあの世や穢土を探し求めている。
そのような思想の蔓延る日本は簡単にこの世の執着を捨てて、戦争の死を選べるのでしょう。代価はそこにある。「創価学会・公明党」の場合でも同じで、この団体は仏教ではなく池田大作の教えによって念仏・法然の思想の流れに染まってしまったわけで、忘我の中に池田王国とか創価王国を夢見て生きているのです。
日本の国を日蓮大聖人は神国日本とまで言われて、念仏的日本の精神思想と対決したのだと私には思われるわけです。正しい仏教を捨てた創価学会や誤った神道の本陣である伊勢神宮や靖国神社参拝を続ける安倍晋三首相、それを支持する日本の国民、・・・・・・これらが受ける仏法違背の思想が戦争だということです。彼等は一体何を対価としてこのような戦争への希求を持つのか?その誤った思想を支えるのは何なのか? それが騙しであり詐欺であり煙幕であり呪縛であり洗脳であるという市民の眼を塞ぎ口を閉ざし耳を閉じさせ、真実の仏教を投げすてさせる無間地獄を好み好ませる諦観・地獄の思想だということです。
「国や社会の平和と安寧のためにはそれを主導する者が権力を握らなければならないと間違えて受け止めてしまった」・・・・・・これが「創価学会・公明党」の立てた「王仏冥合(おうぶつみょうごう)論」の誤りなのです。公明党設立の理由というのはこの運動を進める創価学会を擁護する外郭団体として、「政教一致」の考から生まれたのです。
日本の安倍の軍国推進思想に何故公明党が付くのか?
●戦争へと誘う世界平和論に騙された日本国民
世界平和や反戦デモ、あるいは護憲運動などを推進しこれに参加することは良い事だと一般世間と同様に、創価学会の平和運動も原水禁なども反戦デモなどでも考えていたのです。これは世間一般からは反発を買う事も無く受け入れやすいのです。しかし日蓮大聖人は「立正安国論」の中でそのような国土安穏・世界平和を先ずは祈る姿勢の平和論を退けられて、人間の思想を支配している誤った宗教を先ずは糾すべきであると主張されて、当時の念仏思想と対決されたのです。しかし創価学会の池田大作がこの「立正安国論」の解説本を作ってそこで故意に逆さ読みをしてしまったのです。後の創価学会員はその誤りが隠されている為に真実が分からないのです。そういう蒙昧さが今の創価学会・公明党にはあるのです。
●創価学会の「王仏冥合」の儀式に来た岸信介の孫は誰だったのか?
宗教的には日本の神道を日蓮大聖人は否定はしてないのです。但し仏教の中で神はその働きを得るので、神を拝む対象としてはならないとご指摘されている。安倍晋三首相は、子供の頃に母親に連れられて日蓮正宗の総本山大石寺に来ているのです。昭和33年3月16日だったと思いますがこの大石寺で創価学会の当時の会長戸田城聖が青年部幹部を集めて、広宣流布が実現した時に行う儀式の模擬試験というのを執り行なったのです。これは一種の「政教一致」の思想ですが「王仏冥合(おうぶつみょうごう)論」といって釈尊の教えの中にはあるのです。これを戸田がやりたかった。木村さんのご指摘になられた権力者が平和を実現するという思想です。
それで王である当時の日本の首相である岸信介を総本山に招待したのです。戸田はおそらくは増上慢して自分が仏法の大将だと考えていたのでしょう。ところが当日になって岸は用事ができて来られなくなって、娘と男の子をこの式場に送ってきたのです。
●糖尿病と急性肝炎で倒れた覚者などは正しい信仰者には無いのである
戸田は岸の来なかった事を非常に残念がっていて、何度も何度も岸信介の来なかった事を語り、その無念さは深く隠せなかったようだ。戸田はこの不発に終わった式典直後に慢性の糖尿病と急性肝炎で東京に戻り慶応病院に運ばれてそこで死亡するわけである。ここから創価画会では、「追撃の手を緩めるな」との有名な話しが起こっているとも聞いたことがあるのです。しかし言ってみればこれが仏教界の王者と自賛した戸田城聖の最後の姿であった。糖尿病と急性肝炎で倒れた「覚者」などは「中風の覚者」と同様に正しい信仰者には想像し難い事なのである。この式典に付いてきた男の子というのは岸信介の孫ではなかったかと思うのです。それは安倍晋三ではなかったかと私は思うのですが、この辺の安倍晋三の家系に詳しい方が日本にはいるのだと思います。
「国や社会の平和と安寧のためにはそれを主導する者が権力を握らなければならないと間違えて受け止めてしまった」・・・・・・これが「創価学会・公明党」の立てた「王仏冥合(おうぶつみょうごう)論」の誤りなのです。公明党設立の理由というのはこの運動を進める創価学会を擁護する外郭団体として、「政教一致」の考から生まれたのです。
日本の安倍の軍国推進思想に何故公明党が付くのか?
●戦争へと誘う世界平和論に騙された日本国民
世界平和や反戦デモ、あるいは護憲運動などを推進しこれに参加することは良い事だと一般世間と同様に、創価学会の平和運動も原水禁なども反戦デモなどでも考えていたのです。これは世間一般からは反発を買う事も無く受け入れやすいのです。しかし日蓮大聖人は「立正安国論」の中でそのような国土安穏・世界平和を先ずは祈る姿勢の平和論を退けられて、人間の思想を支配している誤った宗教を先ずは糾すべきであると主張されて、当時の念仏思想と対決されたのです。しかし創価学会の池田大作がこの「立正安国論」の解説本を作ってそこで故意に逆さ読みをしてしまったのです。後の創価学会員はその誤りが隠されている為に真実が分からないのです。そういう蒙昧さが今の創価学会・公明党にはあるのです。
●創価学会の「王仏冥合」の儀式に来た岸信介の孫は誰だったのか?
宗教的には日本の神道を日蓮大聖人は否定はしてないのです。但し仏教の中で神はその働きを得るので、神を拝む対象としてはならないとご指摘されている。安倍晋三首相は、子供の頃に母親に連れられて日蓮正宗の総本山大石寺に来ているのです。昭和33年3月16日だったと思いますがこの大石寺で創価学会の当時の会長戸田城聖が青年部幹部を集めて、広宣流布が実現した時に行う儀式の模擬試験というのを執り行なったのです。これは一種の「政教一致」の思想ですが「王仏冥合(おうぶつみょうごう)論」といって釈尊の教えの中にはあるのです。これを戸田がやりたかった。木村さんのご指摘になられた権力者が平和を実現するという思想です。
それで王である当時の日本の首相である岸信介を総本山に招待したのです。戸田はおそらくは増上慢して自分が仏法の大将だと考えていたのでしょう。ところが当日になって岸は用事ができて来られなくなって、娘と男の子をこの式場に送ってきたのです。
●糖尿病と急性肝炎で倒れた覚者などは正しい信仰者には無いのである
戸田は岸の来なかった事を非常に残念がっていて、何度も何度も岸信介の来なかった事を語り、その無念さは深く隠せなかったようだ。戸田はこの不発に終わった式典直後に慢性の糖尿病と急性肝炎で東京に戻り慶応病院に運ばれてそこで死亡するわけである。ここから創価画会では、「追撃の手を緩めるな」との有名な話しが起こっているとも聞いたことがあるのです。しかし言ってみればこれが仏教界の王者と自賛した戸田城聖の最後の姿であった。糖尿病と急性肝炎で倒れた「覚者」などは「中風の覚者」と同様に正しい信仰者には想像し難い事なのである。この式典に付いてきた男の子というのは岸信介の孫ではなかったかと思うのです。それは安倍晋三ではなかったかと私は思うのですが、この辺の安倍晋三の家系に詳しい方が日本にはいるのだと思います。