2011年1月15日土曜日

ネット報道がチュニジア革命をリード 公共メディアは追認 23年間の大統領独裁の抑圧下から


チュニジアのジン・アビディン・ベンアリ大統領の亡命に内外のチュニジア人の多くの民衆が喜んでいる。急激なテンポの旋回で革命が起こったわけだがこのシナオリは予想されていた。ただそれがチュニジア内外のメディアの報道には乗らないように調整されてきただけである。インターネットやフェースブックの後を公共メディアのジャーナリストは追っていたという。14日夜のフランス国営放送・テレビA2は放送時間を延長して特別番組を組んでいた。そこで現地報道ルポのキャスターのサマ・スーラさんは短いが興味深い発言をした。

1月14日のA2では警察が群集を棍棒で殴りつけ実弾を機関銃のような大きな武器で市民を標的に撃っているフィルムが今回初めて放映された。これには何時だとの解説も日付の字幕スーパーもなかった。しかし先週末1月8日ごろにチュニジア市街で警察との衝突があり多くの殺傷があったその時のフィルムと推測される。A2がこの映像を持っていたわけだ。サマ・スーラさんは今回は招待客としてパリ市長ベルトラン・ドラノエ氏やアフリカ専門のジャーナリストなどとともに出演していた。彼等の共通点はフランスに住むチュニジア人ということである。

チュニジアのメディアから見ていたドラノエパリ市長は、この(国家警察の)暴動が始まったときから、人権擁護団体の責任者とこの事件を心配して先ずこの暴力を止めさせなければならないと話してきたという。チュニジア政府の汚職に抗議する民衆の上に非常に激しい圧力が加えられた。これからは透明な政治を市民が決めて正直な独立したものとしていくべきだと語っている。

ベンアリ大統領は「しばしば圧力を加えたが」とA2の司会者が他の招待者に質問を切り出すと、「しばしばではないですよ、(いつもだ)」との答えが返ってきて司会者はやり場がなくなるほど、いつになく明解な討論がなされている。

招待されていたマグレブ社会の専門家は最後に司会者の終了を振り切って一言付け加えた。それは、今回のチュニジアの教訓として言えるのは、イスラム社会とアフリカ諸国にとっては警察権力に対抗する勇気が初めに必要であったと語ったことだ。

フランス国営放送・テレビA2のルポルタージュ・ジャーナリストのサマ・スーラさんもテレビが先頭に報道しているのではなくてフェースブックやインターネットの後を我々が追っていたと語っている。

この討論で、ある出席者からはフィヨン首相の反応は、チュニジアの青果物行商の青年が警察に品物を没収されてこれに抗議して焼身自殺をはかったのが2010年12月17日で、それから1ヶ月ほど沈黙をしたままでいた。1月13日になってから初めて発言したが遅かったとの指摘も聞かれた。

12日政府スポークスマンのフランソワ・バロワン氏は国際社会が、チュニジアと友好国であるフランスがなぜ人権問題なのにそれを批判しないのか?との質問に答えて「チュニジアはフランスの友人である」といっていた。

ミッシェル・アイオマリ外務大臣はチュニジアの鎮圧を支持しチュニジア政府に協力するような発言をしたというのはおかしいというジャーナリストのセルジェ・モアチィ氏の意見も、A2の司会者のさえぎる中で、これだけは言っておきたいとして発言されている。

チュニジアのジン・アビディン・ベンアリ大統領が亡命する前日(13日)に、テレビで宣言した「2014年の大統領選挙には出馬しない」などと市民の目を回避しようとまったく馬鹿にした発言があったが、チュニジアの民衆には今日のパンが欠乏しているのであり、今日の住宅が雇用が問題なのであった。

大統領の発言は「受け入れらない」と反ベンアリ側ではいっていた。ところがベンアリ大統領を支持するメディアでは、昨日13日にチュニジアテレビでベンアリが譲歩の宣言したことによって民衆は納得した。これで暴動は収まる。大統領の演説は暴動者側にも好評であったなどと評価するメディア報道がフランスで流れチュニジアでの暴動事件は縮小化に向かうというものであった。

その報道も「暴動」とは表現するがこれが警察が実弾を群集に向けて発砲した「暴動」とはいわないのが不思議である。もっともチュニジアは抗議デモは暴動と見なすという方針を発表していた。

緑の党のノエル・マメール、エイコジスト・ベーグル市長など躊躇なくベンアリ大統領を「砂漠のニコラエ・チャウシェスク」と呼んで批判していた。 

2010年12月17日に一人の青果物を売る行商の若者が荷車を警察に取り上げられたことに抗議して焼身自殺をはかり、2011年1月4日19時ごろにチュニジアの病院で青年は死亡したことから民衆の怒りは爆発した。ベンアリ大統領が亡命をくわだてるチュニジア革命の出発点となったと人権普及国際連盟 (FIDH)会長のスハヤー・ベルハッセン女史はすでに同サイトでいっていた。

フランスは一ヶ月近くも長い間チュニジアのベンアリを批判しないでいたが、13日になってようやくフィヨン首相が「並外れた暴力」と表現した。が、深く立ち入った批判はしなかった。ベンアリ独裁体制下で66人がこの一ヶ月で殺害されたと人FIDH会長のベルハッセン女史は指摘していた。

フランスがベンアリを受け入れるかは現在大統領官邸エリゼ宮殿で検討中らしいと「ラジオFrance Info」が19時44分((パリ時間)伝えている。

ベンアリの亡命で首相のモハメド・ガンヌーン氏が次の大統領選挙までの臨時の大統領を務める。






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