2011年3月26日土曜日

【コラム】 リビアのカダフィを独裁者として「殺害や空爆を許す」西欧の哲学と宗教認識の貧困性

欧米軍はリビアのカダフィが大量虐殺をしていると認識して、「リビアへの軍事介入によって数千人の犠牲者が救われた」とサルコジ仏大統領などは空爆の正当性を主張した。結果的にカダフィではなくてもある人間を殺害することになる空爆が実行された。もし独裁者カダフィの殺害が実現すればそれはさらに重大な人間性への反逆的行為となる。実はここに西欧の哲学と宗教認識の貧困性があるのである。

なぜカダフィを殺害することが人間性への反逆行為であり西欧思想の限界なのかということは、一言でいえばそれはカダフィ大佐が人権無視の殺害行為や大量虐殺などを行った大重罪人とみられているからだ。

サルコジもセルビアのミロシェビィッチと比較してカダフィへの軍事介入の正当性を述べたのはやはりそのためであると考える。

この大重罪人を抹殺すればリビアや世界は平和になり民衆は解放されると考えるわけだ。セルビアのミロシェビィッチの場合でもリビアのカダフィ大佐とほほ同様な原理的な認識が欧米側にはある。つまりそれは悪は抹殺すれば解決するという西欧の哲学と宗教認識の二元論の思想なのである。

だから絶対悪としてのカダフィは殺害に値し空爆してもよいのだという貧困な思想を根拠とした軍事介入の正当化が生まれるのである。そういう思想哲学には人間性理解の中において自分たちは善でカダフィは悪だとする二分律の思想が支配し毒している。

3月20日、ロシアのプーチン首相は、リブアの市民を保護するために国連(ONU)決議1973で軍事介入行使が許可されたといういうのは、まるで十字軍遠征を呼びかけているようだと発言した。これは大変に重大なことの指摘をしていると思われる。これへのわたしの解釈はこうだ、キリスト教徒がイスラム教徒を征伐することは善であるという西欧思想に元ずく正当化の論理そのもので、これはまったく非合理的な思想だということである。

ここで結論だけをいっておくと、そこには自分たちもカダフィと同じ悪を持ち、カダフィもまた自分たちと同じ善をもつという人間性への理解欠落があるということだ。欧米軍が許したカダフィへの空爆の軍事介入を提案したサルコジ大統領とこのリビア空爆の思想的提案の源とされるベルナール・アンリ・レヴィなどの思想的貧困性が原因なのはカダフィのような最悪の極悪人への人間的な救済を全く考えてないことにある。これでは自分たちにもまた救済の道は閉ざされているのだと知るべきであろう。