2011年7月1日金曜日

仏政府や軍隊の見解主張とは「事実は異なる」 アフガニスタン解放の2人の仏人ジャーナリストが指摘


6月30日、朝08時30分ベルサイユ宮殿の東に位置するヴィラクブレー軍用飛行場には300人ほどの報道陣が駆けつけた。アフガニスタンでリバンに誘拐され18ヶ月に渡る捕虜になっていた仏人ジャーナリストのステファン・タポニエー氏とエルベ・ゲスケィエール氏の2人が釈放されてフランスに帰国してきたのを向かえた。彼等の発言で最も重大なことは、パリ市内のフランス国営テレビ局のホールに集まった社員を前に語られたことだ。仏政府や仏軍隊はアフガニスタンでの2人の取材にたいし危険の警告があったことは無く、誰も「何もいわなかった」として、誘拐されていたジャーナリストたちに対するこれまでのフランス政府の見解主張とは事実経過が異なることをゲスケィエール氏がまず釘を刺した。(JST  11/07/01/9:41)


30日のラジオフランス・アンフォ(France Info)が彼らの発言を省略しないで報道している。我々は想像できないような危険を冒したわけではない。我々はアフガニスタン軍に捕まりにいったわけではない。我々は周到な準備をしていったのでリスクを最小限に抑えることを考慮したものであった。これまで聞いた話しでは、フランス軍隊は我々が大きな犠牲になる、大きな問題になると危険を十分に予告して警告していたということだが、それはまったくの誤りである。フランス政府も軍隊も誰もそんなことは我々にいわなかった。わたしはその話しがどこから来ているのかはわからないが、このことを明確にしておきたい。(会場から大きな歓声と拍手)

我々は冒険にでも出かけるような軽装で行ったのではない。それとは全然異なっているのである。(歓声と大拍手)

我々はどこに行くかを確実に知っていた。我々はすべてのタリバンの取材に行くことなどは考えてなかったのである。それは、月日をかけて周到な準備をしたからだ。たとえ月日をかけて周到な準備をして行っても、たとえイスラム教徒であっても、日本人も遭遇したことだが、誘拐されたという非常に複雑なものがある。

これだけはいっておきたいのは、ラァックス・ベルモンと呼ばれている街道があるのだが、その街道は当時も今もだが、フランス軍隊も、タリバン軍も、アフガニスタン政府軍も警察も、誰もコントロールしてなかった。

先ず我々が生命を危険に晒して、次にそれで犠牲になり、誰かが我々の解放のために救助の仕事をするとか。ノーである。そういうのではない。このことを私は本当に明解にしていっておきたい。というのは多くの論議があって、どうしてもこの点を明確にしておくのが重要だと考えるからだ。我々はリスクを最小限におさえて十分に準備をした。が、我々はついてなかったのである。

我々は検問通過で、裏切られたのである。タリバンの通報者が忍び込んでいた。我々は20キロほど先までいって逮捕された。


おおよそは我々は理解したが、もし我々が最初の箇所で待ち伏せされて誘拐されてなかったら、第二の場所で待ち伏せ(そういうのであるが)にあう。そして第三の・・・、我々が降伏しなければ彼らは我々を撃ってもよい指令を受けていた。それは我々は彼らにとってスパイだとされていたからだ。わたしはこのことを本当に明解にしておきたいのです。それはこのことで多くの論争があって、この裏にいろいろといっていることがあるので、この点の重要性を指摘したのです。以上が括弧付きの話しです。

夜のフランス国営放送・テレビA2に出演した二人は、サルコジ大統領寄りの有名テレビキャスターのダビッド・プジャダス氏の質問に答えて、捕虜生活は終了した。世界は急激に変化しているので、それを伝えるジャーナリストの仕事に一刻も早く戻りたいと語っている。心理学者の指摘するようなショックによる精神的な落ち込みは全然感じていない。ジャーナリストの仕事が本当に好きだし重要だと語っている。

とくにカメラマンのステファン・タポニエー氏は戦争現場への取材を明日にでも再開する抱負を述べた。

エルベ・ゲスケィエール氏は戦争報道の鏡の裏にある政治的なからくりに興味をもっていて此れに対する取材を企画していることを述べたのはジャーナリストと権力との関係で重大だ。フランス政府がこれまで多くの捕虜の解放に積極的でなくジャーナリストが紛争地帯へ取材に行くことには反対を表明してきた。

誰も証人がいないところでの殺戮は、たとえ北大西洋条約軍事機構(NATO)であろうがフランス軍隊であろうが、またタリバンであろうが民主主義的な手続きを隠すのに都合がよいことになるということがあり、二人の仕事をはじめ多くの世界のジャーナリストが危険を侵しての取材は重要かつ必要な仕事であることを知らしめた。


サルコジ大統領は婦人とコワイエ衆院議長やジュッペ防衛相と共に2人の到着したヴィラクブレー軍用飛行場に姿を現し彼らに会った模様だがどんなメディアの立ち会いも拒絶したということで不信感が残った。