2012年1月8日日曜日

パリの路上に生きる、都市は貧者の終焉の土地


パリの街は田舎と異なって貧富の差が眼に見えて際立っている。特に冬の季節はそうだ。フランスではミレーの落穂拾いの絵にあるように、昔から貧しい人たちは富者の取り残した残り物を畑や市場で拾うことが許されていた。パリの数多くの街路で開かれる朝市にはこうした貧しい人々が食物を求めてやってくる。中には身なりのいい婦人や若い労働者もいる。多くの人々が市の終わるころをめがけて集まる。ミレーのオルセーにある作品は農村がテーマになっているが、現代の貧しい落穂拾いの現場は都市の路上であり、地方から活路を求めてやってくるが、おそらくは終焉の地となる。

中年の男性は寒い中でフランスの高級紙といわれるルモンド紙を読んでいた。わざわざお願いして一面を手にしてもらった。高級バターを入れる木の丸い容器を使ってお金を集めていた。男性はかばんを開けて見せて、他にフィガロ紙やパリジャン紙もあるといった。




雨の中、路上で寝ている人。始めはなにかゴミでも置かれているのかと思ったが、急に動いたので人だとわかった。




モンパルナス駅構内で夜を明かす人々。

パリの大きな駅周辺に夜を過ごす人が多いようだ。構内はそんなに寒くない。田舎からパリに出てきた人が北駅や東駅、モンパルナス駅、リヨン駅周辺に多いのはやはりそこが故郷と繋がっているという意識があるためなのかは調べないとわからないことだが、なんとなくそのように思える。都会は田舎から放り出されて上京した人々には、ある意味で怖いところであり、異質な世界に思えるに違いない。貧しい人たちだけでなくブルターニュ出身の人々がパリのモンパルナス駅周辺に住みサークルを作っているのもうなずける。またブルターニュの名物であるガレットを食べさせてくれる店も多いのだ。またリヨン駅に行けば構内に描かれた沿線都市のパノラマ画をみるまでもなく、リヨンやサンテエチエンヌ方面から来た人々の好みである鳥料理などのレストランが多いのがわかる。


家のない貧しい人たちは、大きな荷物が家財の全てである。婦人はペットなのか動物の籠を手にしていた。
家のない貧しい人たちは、大きな荷物が家財の全てである。エスカルゴのように動きが鈍くなるので、これらの所帯道具を地下鉄のトンネルや街路の下を流れている送電線のための坑道に隠して、昼は街を生活のために物乞いしたり、市場に出かけて行って売れ残りの野菜や肉切れを手に入れるのである。この姿が美しくないというので主に与党系の市長が禁止した町もいくつか最近あって、これを人権団体が思いやりに欠けるとして批判して話題になった。