9年の歳月が流れてやっとオダンド大統領の社会党政権になって裁判の見通しがついた。裁判の決定が長いのには政治的な裏があるとジェエドとブゥナ両君の弁護士は語っていた。パリ北東部郊外のクリシー・スー・ボワの町から開始された2005年の仏郊外移民青年の暴動は、両君がサッカーの練習を終えて坂道を登ってくる途中で警察に追われ、行く手も塞がれたために墓地側から変電所内に逃走し感電死したことに端を発している。10月31日仏最高裁判所はパリ高裁が宣言していた「棄却」を「破棄」して、「危険にある人を救助すべき義務を怠った」ことで2人の警察官の再審を要求する歴史的な判決となった。
この判決は警察は移民に対しても市民権を尊厳すべきだという判断が社会党政権下で初めて認められたものともとれる民主主義での重要な変化である。なおこの仏郊外移民青年暴動の鎮圧で警察や機動隊の指揮を執ったのはサルコジ前大統領が内相の時であった。
この判決は警察は移民に対しても市民権を尊厳すべきだという判断が社会党政権下で初めて認められたものともとれる民主主義での重要な変化である。なおこの仏郊外移民青年暴動の鎮圧で警察や機動隊の指揮を執ったのはサルコジ前大統領が内相の時であった。
市民側から訴えられている警察官の一人の発言に次のようなものがあった。「たとえフランス電力の敷地内に彼らが入り込んだとしても、自分は彼らのために犠牲にはなりたくない」、この言葉が引き金になって、パリ裁判所が出していた裁判「棄却」を「破棄」する仏最高裁判所の宣言となった。パリ裁判所はこの警察官の発言を無視していた。
2005年10月27日に感電死したジェエド・ベナ君は17歳でブゥナ・トラオレ君は15歳であった。2人の名前の刻まれた記念碑は、シュメトフの設計かと思われる真っ白で流線型を持つ美しい高校の前にたたずんでいた。
【参考記事】
Mort de Zyed et Bouna: la perspective d'un procès se dessine
Zyed et Bouna : "une très grande décision pour la justice française"
http://www.lemonde.fr/societe/article/2012/10/31/mort-de-deux-jeunes-a-clichy-sous-bois-la-cour-de-cassation-annule-le-non-lieu-en-faveur-des-policiers_1783764_3224.html