左派系のインターネット新聞メディアパート(Mediapart)社のエドワー・プレネル会長がメジャーナリズムのあり方メディアの存在はどうあるのがよいのかを語っている。その中で権力の番犬としてのジャーナリズムを強く意識していて、エリゼ大統領官邸というのは要塞であって仏大統領はそこで何でもできる。自分がエリゼ大統領官邸にいるとすると、そこではあっちで戦争をやったりこっちでは三面記事をつくったり、外国人嫌いや人種差別を開発したり、権力を保持するために可笑しなことをするのだ。こんなことがあってはならないとプレネル氏は語っている。
http://www.dailymotion.com/video/xhx976_entretien-avec-edwy-plenel-le-directeur-de-mediapart_news#.UOtSXm_8IVQ
このプレネル会長のこの発言は、オランド仏大統領がマリでの戦争を独自に開始したのと、サルコジ前大統領が議会の審議もなく政府内での相談もないままに友人の哲学者ベルナール・アンリー・レヴィー(BHL)と二人で決めてリビア空爆を行ったその中間で発表されたものである。仏大統領の一人の決定権だけで、他国への戦争を可能にしていることが、世界市民の安穏を脅かしてもいる。民主主義の実現を考える重大な問題の指摘となっている。
ジャーナリズムは邪魔しなければならない。ジャーナリズムは無秩序である。無秩序の民主主義である。民主主義の利益や法の闘争、自由の闘争を掻き立てなければならない。メディアパート(Mediapart)はジャーナリズムの誓約に忠実であるというだけである。我々は特別な時代の中にいる。我々は職業としてのジャーナリズムの深い危機の中にいる。その産業としての危機でもあるが、そういう状況の中でメディアパートは独立媒体としてのインターネットを使用したメディアを新しいプレスのありかたの見本として再興しようとしている。
このプレネル会長のこの発言は、オランド仏大統領がマリでの戦争を独自に開始したのと、サルコジ前大統領が議会の審議もなく政府内での相談もないままに友人の哲学者ベルナール・アンリー・レヴィー(BHL)と二人で決めてリビア空爆を行ったその中間で発表されたものである。仏大統領の一人の決定権だけで、他国への戦争を可能にしていることが、世界市民の安穏を脅かしてもいる。民主主義の実現を考える重大な問題の指摘となっている。
ジャーナリズムは邪魔しなければならない。ジャーナリズムは無秩序である。無秩序の民主主義である。民主主義の利益や法の闘争、自由の闘争を掻き立てなければならない。メディアパート(Mediapart)はジャーナリズムの誓約に忠実であるというだけである。我々は特別な時代の中にいる。我々は職業としてのジャーナリズムの深い危機の中にいる。その産業としての危機でもあるが、そういう状況の中でメディアパートは独立媒体としてのインターネットを使用したメディアを新しいプレスのありかたの見本として再興しようとしている。
一方、フランスは民主主義の大きな危機にある。メディアパートは対抗権力の中心にある。つまり理想的な視点から、制度であるとか、共和主義とか民主主義とか社会性とかで、我が国を後退させるものと闘うということです。
民主主義は力強い民主的闘争なのである。仏大統領は総ての権力を一手に掌握できない。それがそうでなくなっている。例を上げると、現在、我が国のことだが、地方選挙以来一党で多数派になっている。これはどういうことかというと、大統領を誰が統制するかということは大事なことで、どうでもよいということではない。
大統領は将軍であり議会の徴集もなく投票もなくいつでも戦争を宣言できる。誰が政府を統制するのか?首相だ。そして総ての行政機関もだが。
誰が多数派の国会を統制するのか?つまり衆議院や上院議会、それは投票権である。
誰が任命権を統制するのか?
(・・・)
大統領は将軍であり議会の徴集もなく投票もなくいつでも戦争を宣言できる。誰が政府を統制するのか?首相だ。そして総ての行政機関もだが。
誰が多数派の国会を統制するのか?つまり衆議院や上院議会、それは投票権である。
誰が任命権を統制するのか?
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