2013年6月16日日曜日

「タピ-リヨネ銀行係争事件」 和解調停裁判工作はサルコジが直接介入・指示 オベールCDR元議長が暴露

 「タピ-リヨネ銀行係争事件」では、調停者を立てて公式裁判以外での和解解決をするように2004年から当時経済相であったサルコジ氏が直接指示していたことを6月15日にジャン・ピエール・オベール(Jean-Pierre Aubert)CDR元議長は暴露宣言した。フランスは毎日のようにベルナール・タピ事件の暴露が続いている。そのなかでサルコジ前大統領が直接に、同事件に介入して圧力をかけていたという暴露証言が当時の国立リヨネ銀行負債解決実現の公的コンソーシアム(CDR)を担当したオベール議長から出た。リヨネ銀行とタピとの係争で、すでに2004年から銀行側に譲歩するようにサルコジ氏は圧力をかけていたと証言された。この時オベール氏は、スポーツ用品の世界的メーカー・アディダス社長のベルナール・タピは金を巻き上げると推測していて、サルコジ氏によるタピ氏との仲裁提言を拒絶したのだといっている。



 2004年7月初めサルコジ氏は経済相であった。そのブレーンのクロード・ゲアン氏(警視総監、前エリゼ大統領官邸書記総監、後に内相)がエリゼ官邸内の自室にオベール氏呼び、和解による解決を許諾するよう要求した。が、CDR元議長(2001-2006)はその時に断ったといっている。

 オベール氏によると、サルコジ氏の別の諮問官であるフランソワ・ペロール氏が同様な和解策をもちかけてきたという。サルコジ氏は200年の9月と10月に自分に会いにきて同じことを再度繰り返して同氏の口から強く要請していたといっている。この時にオベールはサルコジ氏に対して、「結果は非常に良くないことになるだろう」と話したと発表した。

  2004年11月と2005年4月にジャン・フランソワ・ブルジェラン(Jean-François Burgelin)元仏最高裁判所検事が調停に入った。タピ氏はパリの豪華ホテルなど総ての持ち株に対し賠償を主張したが、CDR側は債権の1億2000万ユーロ(約156億円)の一部もしくは総てを削除すべきだとした。両者の主張が対立し結論が一致せずに、この仲裁工作は失敗した。

 2005年にパリの高等裁判所(控訴院)はベルナール・タピ氏に1億3500万ユーロ(約175億5000万円)の支払いをするようにCDRに対して宣告した。この判決は仏最高裁判所によって2006年に停止された。

 しかし2007年には、公的裁判所を経ずに私設の仲裁裁判が組織されてCDRが裁かれてた。タピ氏に対しCDRは4億ユーロ(約520億円)の支払い宣告を受けた。

 この私設仲裁裁判を誰が指示を出して組織化したのかが問題になっている。サルコジ前大統領や2007年当時の経済相で現在の国際通貨基金(IMF)総裁クリスティーヌ・ラガルド氏が関係していたことが次第に暴露されてきている。サルコジ氏は大統領選挙のあった2007年前後からタピ氏と18回ほど会合していたこともわかった。当時首相(2002-2005)であったジャン・ピエール・ラファラン上院議員はサルコジ氏が裁判をさせないように圧力をかけていたことは知っていたという。それは裁判経費を節約することになるからだとラファラン氏は単に理解していたらしい。

 CDRは公的な組織であって、国立リヨネ銀行の負債を請け負ってタピ氏へ支払った金はフランス国民の税金であった。

【参考記事】

Affaire Tapie : Sarkozy aurait demandé une médiation dès 2004