2013年11月12日火曜日

アフリカ独立50周年、雨に悪風添う仏革命記念軍隊行進に、コートジボワールは植民地清算拒否

7月14日の革命記念日(パリ祭)は朝から異常に気温が下がりかってない猛雨がパリを襲った。アフリカの旧植民地13カ国の軍隊がシャンゼリゼ大通を東のコンコルド広場へと石畳を土砂降りの中で行進してゆく。コートジボワールの軍隊の姿がなく、ラジオニュース・フランス・アンフォの実況中継は「唯一アフリカで雨にぬれなくて済んだ国があった」と報じた。雨は折からの悪風が混じってか斜めに筋を引く雨脚を見せる凄さだ。サルコジ仏大統領や来賓のアフリカ14ヵ国のフランス旧植民地首脳陣らはコンコルド広場に設営された大テントの中で閲兵する。その前を雨はまるでスノコのように兵士の頭上に吹き降りた。この兵士らと沿道の市民だけが冷たい夏の雨にぬれる光景には不吉さが漂った。雨それ自体は斜めに降ることを望みはしない、悪風が混じったということだ。(本文の初出 / 公開日時: 2010年7月15日 )


▼大統領の発言に空虚さが
アフリカのジャーナリストのルイ・クマイヤー氏はTV5LEMONDEの番組に出演し、「サルコジ大統領はアフリカの植民地独立50周年を祝うといってパリ祭にアフリカ各国首脳を招待したが、いまだに一度もアフリカ諸国の独立50周年記念祝賀式典に参加してないのが問題だ」と語った。サルコジ大統領は退役軍人年金をアフリカ兵もフランス人と同様な待遇で完全平等に支払うと13日、アフリカの首脳を前に誇らしげに宣言してみせた。これに関しクマイヤー氏は「あまりにも遅すぎた、すでに9割は死亡している」と答えている。

▼コートジボワールの出席拒否の理由は
NGO組織のアフリカの発展と平和のための会議(CPDA)などの話しによると、コートジボワールでは、2002年9月に軍人など750人が蜂起した事件で300人の死者を出しゲイ前大統領も死んだことを契機に、政府と反政府軍の戦いが拡大し、2004年11月6-9日にはフランスの軍隊がコートジボワール空軍の飛行機2機を撃墜して、市民など57人が死亡、2000人が負傷した。この事件でフランス人8000人がコートジボワールから退却するという事件になっていたという。

コートジボワールは、フランスの7月14日の革命記念日(パリ祭)に自国の軍隊を参加させることは、自国の人々の苦しみを鎮静することにはならない。またフランスとの係争を蓋(おお)い隠す事になると見ているようだ。アフリカの人々に残した植民地の傷跡を考えると、その歴史の痕跡を簡単には解消できないし、それを覆い隠すことなどは誰もできないということだ。

サルコジ大統領の招待で、宗主国フランスの軍隊の祭典に参加した旧植民地各国が軍隊行進に参加したのは13カ国だけだったという。ブルキナファソ、ベナン、カメルーン、中央アフリカ、コンゴ共和国、ガボン、マダガスカル、マリ、モーリタニア、ニジェール、セネガル、チャド、トーゴである。コートジボワールのローラン・バグボ大統領は参列せずにミッシェル・アマニヌゲサン国防相が代行参加していたが、コートジボワールは軍隊のパリ・シャンゼリゼ行進は予定していた当日の参加を拒絶した。

リベラション紙は雨の14日の式典を伝えて、「パラシュート部隊の降下は暴雨の悪天候のために、フランス国旗やヨーロッパ各国の国旗、及びコートジボワールの国旗を含むアフリカ14カ国の国旗の置いてあるコンコルド広場の中央舞台にうまく着地するのが困難であったと、わざわざコートジボワールの名前を取り出して書いている。

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(参考記事)


(Afrique en ligne )
http://www.afriquejet.com/afrique-de-l'ouest/cote-d'ivoire/france:-la-cote-d'ivoire-absent-le-14-juillet-2010070552271.html
(リベラション紙)
http://www.liberation.fr/recherche/?q=c%C3%B4te+d+ivoire+france+14+juillet
(TV5 LEMONDE)
http://www.tv5.org/cms/chaine-francophone/info/p-1910-Afrique.htm?rub=6