2014年7月30日水曜日

ガザ地区攻撃で集団的懲罰 イスラエルが粘る臭い不思議な謎の液体放水 

イスラエルのガザ地区攻撃では、白い色のトラックが走り、謎の有害水が放水射撃された。家屋の屋根や壁や街路もすべてこの不思議な水で濡らされてないものはない。衣服や肌に粘りつくと2、3日は除去できないという。このひどい臭いがする液体には何が入っているのか?イスラエル警察はこれに関して黙っていて、誰にもしらされていない。これは集団的懲罰なのだろうか?放水された不思議な液体は家屋の中や台所にも入ってきてパレスチニア人の生活を耐えられないものにしている。これはパレスチニア人に対するネズミや蚊に殺虫剤を浴びせかけていることにはならないのか?とパレスチニア住民は疑問視している。ルモンド紙がいち早く報道した。


パレスチニアのガザ地区で、婦女子や老人や病人など無差別に集団的懲罰として謎の有害水が放水射撃が行われているのは、いま日本で騒いでいる集団的自衛権の帰結としても言えることだと思う。

戦争になれば非戦闘員と戦闘員の区別はなくなる。すべてが殺戮の対象になることを多くの人は忘れている。パレスチニアのこの不思議な水による無差別の放水射撃の悲劇は、近い未来の日本の悲劇でもある。

これは過去の日本が受けた原爆のことだ。天空から落ちてくる死の灰のイメージとこの無差別攻撃は重なる。日本人はもうそんなことは忘れてしまったようだが、これらは同じ戦争の悲劇である。

イスラム教徒でもキリスト教徒でも、それにしても宗教者が人を殺し合うということは、もはやそれは宗教ではないということだ。宗教の基本は人を殺害しないということからはじまるからだ。

日本が集団的自衛権をやれば、よその国の戦乱を日本国に引き寄せ招いてくることになる。そのために集団的自衛権はあるのだから当然なのだ。いくら山口那津男が盛岡で安心できるように法律を整備して歯止めをかけると説得しても、そんなのは戦争になれば相手にはまったく無関係なことなのである。

戦乱というのは人が死ぬことだし人を殺すことである。創価学会・公明党は戦争という人殺しを認めるのであれば、それはどういう宗教のことなのかと疑問に思う。

【参考記事】

L'« eau sale », arme antiémeute et punition collective en Israël

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