この事件はゲアン元内相やサルコジ前大統領の 組織した2007年の仏大統領選挙の運動資金を リビアの独裁者カダフィから受けた、フランス側 での金の受け取りをめぐる事件として、その資金 がゲアンの所持下2枚のフランドル画家の絵を介 し洗浄されたもので、フランス司法が決めた盗聴 網に引っかかっていたものだ。ルモンド紙 (Le Monde)が暴露している。 |
カダフィ大佐の金庫番であったベシール・サレハ(Béchir Saleh)はすべての秘密の鍵を握っていた。フランスが彼を保護していて、立派なアパルトマンをあてがわれてパリのサンジェルマン大通などを闊歩していた。サレハはどういうわけか、フランスに招待されてサルコジに随順するアレクサンドル・デジュリ氏の庇護とサルコジの監視下に置かれていたのである。
カダフィのリビアを、サルコジが英国を先頭に欧州首脳を動かして空爆を開始した。カダフィの長女アリサが仏国営放送テレビ・アンテナ2の現地ルポルタージュに出演し、サルコジはどうして私の父や無実の婦女子を殺害するのかわからない。戦闘機の仏人パイロットには妻や子供はいないのかと訴えた。この空爆の訴えを支持したロラン・デュマ(Roland Dumas)弁護士・元外相と反植民地主義者で世界的に有名な、ゲシュタポの首領クラウス・バルビ(Klaus Barbie)裁判の弁護などどうしようもない人間の弁護もした ジャック・ベルジェス(Jacques Vergès)弁護士の二人は、リビアを訪問し国際人権裁判所への告訴をリビアの市民に約束した。
その爆撃でカダフィは行方をくらました。カダフィは砂漠の土管の中に隠れていたのが発見され、フランスの秘密警察の犯行ではないかという見方もあるが、その場で何者かによってピストルで殺害されている。カダフィの隠れ家は、当時、「アラブの春」のドミノの政情で家族代々の独裁者として身の危険を感じ出したシリアのバッシャール・アサド大統領が、国連での拒否権を持つフランスに助けを求めて訪仏してきた。その時にサルコジに頼み、その引き換えにサルコジが知りたがっていたカダフィの居場所がわかる携帯電話番号を教えたといわれている。
クロード・ゲアン氏とアレクサンドル・デジュリ氏との電話会話を続けると。
-(デジュリ氏)「君は私がベシール・サレハと会ったのを知っているだろう・・・。私はヨハネスブルグにいた。君は、(リビアの)社会主義者が彼に馬鹿な提案をしたことがわかるだろ」
-「あれは悪い事だ。信じられないことである」
-「待って、私は君(ゲアン)にサレハが生々しく私に語ったことをすべて話そう。信じられないことだが」
ベシール・サレハは、2007年のサルコジの仏大統領選挙運動資金のリビア側からの供出を担当したことで、パリのセルジュ・トールネイ(Serge Tournaire)判事の指揮下で国際指名手配になっていたことが思い出されるだろう。
カダフィ大佐の息子セイフ・アル-イスラム氏も2007年のサルコジ氏の仏大統領選挙資金にリビアが金を援助して出していてその送金の証拠物件もあると宣言していた。
今回のルモンド紙(Le Monde)の暴露の中には、ゲアン氏の同氏の娘さんとの会話もあった。
-「国民運動連合(UMP)は無能で、彼らはお父さんを守ってくれない」
-「お前が知っている何人かはなすべきことを知っている。私もちょっとしたことは知っている!そうだろう?しかし内相ではないのだ!」
-「サルコジはお父さんのために何かできるでしょう!彼は自分を心配しているだろうから、だってお父さんがいつかバラスかもしれないし・・・」
-「めっそうもない。私はバラスことはしない」
-「したほうがよいのかも」
ルモンド紙の暴露は、単なる家族の雑談では終わってはいなかったのである。