ル・コルビュジェ死後51年 建築家の夢と人間の家 (1)
昨夜、ル・コルビュジェの夢を見たのです。それは近くにポワシ―という町がありその小高い丘の上に建築家の作った「サヴォワ邸」があるのです。その屋上から遠くセーヌ川の蛇行が、背景に白い岩肌やその石で作った家屋を背景に蛇行しながらゆっくりと流れているのが見えるのです。それを見に行こうと考えていました。何度か行ったところですが、この風景を屋上の壁をえぐった窓越しに見たのは一度だけなのです。非常に美しいのです。屋上にはル・コルビュジェ独特の白い壁が風景を遮っているのですが一か所だけその壁に大きな長方形の穴があけられていて、そこから印象派の舞台となったセーヌ対岸のコワッシー辺りの風景が見える。まるで額に入った絵を見ているようなのです。でもその絵は春の始まる前でないと近くの木の葉が邪魔して見えなくなってしまうのです。昨年はル・コルビュジェ(Le Corbusier本名はCharles Edouard Jeanneret)の死後50周年ということでもありフランスでは多くの企画があったようです。ユネスコの文化遺産推薦の17作品にこの「サヴォワ邸」が入っているのかどうかは知りませんが。世界に数多くある作品のほんの数点しかみてないのですが、これは、アルザスの丘の上にあるロンションの教会と共に良い作品だと思っています。NHKのこの解説では、「ピロティと呼ばれる柱で支えられた開放的な空間やらせん状の回廊、それに自然光を利用した建築様式など、随所にコルビュジエの特徴的な設計が施されています。」とある。調味料ではないのだから、それらの特徴が指摘されこれらを幾つか散らばめて利用した建築だからといって、それはル・コルビュジェにはならないのではないかと不思議におもったのです。
ル・コルビュジェ死後51周年 ユネスコの遺産登録で考えたこと
オーギュスト・ペレの鉄筋コンクリートの技術的な枠組みから解放されていく方向で、プランリーブル、ピロティ、屋上テラス、居間がデュプレックス構造になっているとか、生活環境への適合とか云われて、ここの解説文でも指摘されている通りです。
ル・コルビュジェの生まれたフランスとのスイス国境のラ・ショードフォン(La Chaux de Fonds)に行って見ると、山間の傾斜に張り付いたような町で名前の通り白や黄色の漆喰で作られた家屋が多く、これが非常に印象的なのです。人が住むという問題を静謐な眼差して建築というものを考えた人ではないかと思ったわけです。確かに機能主義的な側面もあったかもしれないが、ただそれだけではこの芸術家は抑えることが出来ないと思っています。それは環境とその中にいる人間への深い尊厳に根差した人間の家を考えていたのではないかとも解釈できますが、まず住んで気持ちのよい夢がみられる楽しい空間がそこにあるということだと思います。
上野の国立西欧美術館 ル・コルビュジェの建築 日本的なもの普遍的なものの探求 (2)
ル・コルビュジェを考えていたのですが、ル・コルビュジェというのは、やはり、面白いのだと思ったのでした。彼が日本文化を本当に理解を示そうとしているのが感じられるのです。少なくとも日本的美を意識しこれをル・コルビュジェのコードで表現しようとしている。上野の山の国立西欧美術館が映ったシェアした写真を、しばらく眺めていた。これはパリ西部近郊のポワシー(Poissy)の町にある「サヴォワ邸」の仕掛けとまるで同じだ、という事に気が付いたのです。 https://www.facebook.com/masao.tobita.77/posts/784347068368975?notif_t=like¬if_id=1463512743279071
http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20160517/k10010524651000.html この長方形のキューブのような国立西欧美術館の建物ですが、正面の細長い壁の右端しにやや長方形の窓が一個付いている。実はこの長方形の壁面全体が立て看板のようなもので、壁面の後ろ側には部屋は無い、衝立のようなものだということなのです。単なる一枚の壁でしかなく、裏側に展示室などの部屋があるわけではないのです。そして正面から見た左側にある四角い窓は、すでに私がル・コルビュジェの作品「サヴォワ邸」でお話ししましたが、屋上テラスの壁につけられた四角の穴(開口部)でしかないのです。ここの上野の国立西欧美術館においても同じ様にたんなる壁面に空けられた長方形の穴であったという事です。わざわざそういう物を配置した意味は、既に「サヴォワ邸」の所でお話ししたので推測できますが、ここが美術館でその絵を飾る額縁を象徴したと見てほぼ間違いないのではないかと思っています。この美術館をNHKは航空写真で撮っていて、これを上空からの写真で見て、衝立の壁でしかなかったことを確認できました。
この手法は17世紀のパリの見栄を張った貴族相手に売ったブロカーが建てさせたパリのマレ地区のボージュ広場(王宮広場)の建築にも見られるもので、アーチテクト・エクラン(見せかけの立て看板建築)ともいわれそうなものです。それはともかくも、この国立西欧美術館における日本的なものを考える場合に非常に心打たれたものが二つほどありました。一つは正面からも理解できるように、建物を支えるピロティの空間では円柱が使われているのですが、よく見るとこの柱の上部と下部とがやや細くできている。柱身の中央部が太くできているのです。写真でも。このエンタシスを柱に仕込んでいるために、或る程度距離を持った所からは非常にスッキリとまっすぐに立つ柱になって写っているわけです。しかし実際の近景写真ではお腹が出たぶ細工な姿になっている。そこに人間の目の誤認や錯覚という弱さを逆手にとっての、前もって計算した、建物家の意匠があるわけで、建設する時に意識的にわざとズレや歪みを作っておいて、実際の人間が見る時にはズレの分が差し引かれて、美しく見えるようになるという手の込んだものです。そこにギリシャの建築家の素晴らしさがあるのです。
ギリシャ建築が美しいのは、人の目では長い平らなものは中心が窪み両端で跳ね上がり、上から下まで同じ太さの円柱では中心部が窪んでみえてしまうという人間の視覚の誤りや弱点を考慮にいれて、ある程度距離を持った下町のどこから見たら丘の上の上町である神域にあるパルテノン神殿は美しいのかを理解していたからです。そういう意味では人間主義的な下町的な建築だったわけです。同様に、この上野の山の美術館の屋根の広がりと、立看板的に造られた正面壁の左端の縦の線を見てみると、(近くにいる方は実際に足を運んで行って見てほしい。この写真は、建築家の使う特殊なカメラで実際の歪みが修正されていない様なので、このまま説明を続けたいと思うが)正面左側の端の角は、弓の様にやや反り曲がっているのがわかる。しかし建物の左端しの角では、この弓なりは余り感じられないはずである。これはギリシャ建築と同じで平らな長い屋根の様な直線は中央部が凹状になり、左右では凸状に反り上がるように見えてしまうからだ。
視覚に直線の歪みが感じられる度合というのは、見る人の位置と建物各部との距離で決まって来るわけだが、建築家はある場所からの見、見られるという場所を想定して、それぞれの柱や屋根などに、どの程度の凹凸を建築の中に準備するか計算し、エンタシスの強弱を決めるわけだ。
大切なことはギリシャではこれは、建築家が手をいれて先見的にわざと誤りの多い人間のために、美しく端正に見せるために計算した建築であったということである。ギリシャの古典はそういう意味で人間の問題での葛藤を、造形的な形相次元と人間能力のつまり知覚の問題とを調和させようと努力したのがギリシャの古典美であり建築美術での思想であったと言える。
そうい事もあってか、このル・コルビュジェの国立西欧美術館が最も美しく見える場所とは、もう少し離れた場所からの写真撮影が欲しかったということだ。建築における端正というのはそういう古典のことをいうのだと私は思う。中世のロマネスクやゴチック世界で忘れられたギリシャ的な古典美の再興がルネサンスでもあったが、これも17世紀のバロックでは廃れてしまった。新古典でも本当に美しい作品は少ないかも知れない。パリの歪んだマドレーヌ寺院などを見ればわかるが、何でも柱のお腹を太らせればよいというものではないのである。
ル・コルビュジェの狙った美とはそういうギリシャ的な古典美であって、なかなか真似のできないものではあるが、これはその昔シルクロードを旅してきた建築家がギリシャのエンタシスを日本の法隆寺の回廊などの建築に伝えたのかもしれない。あるいはもっと人類に普遍的な美の探求として日本古来から存在したのかもしれない。いずれにせよ、柱の膨らみなどはどの距離から見れば美しいのかということがあって、柱の腹部を見てエンタシスがあるので安定しているなどと錯覚して誤解してはならないだろう。ただ一様に、柱身の中ほどや屋根の中央部で高くなっているのを指摘するのではなくて、その意味が、それを見る誤り多い人間存在を考慮し尊重したものとして、ル・コルビュジェはこの美術館を、この美観の伝統のある日本に造ってみせたのだろう。