2016年6月20日月曜日

英国の欧州共同体居残りには 欧州側は明快な態度と意思を期待 

(パリ=飛田正夫6/20/2016 9:48:05 日本時間)6月24日の英国の欧州共同体残留か離脱かを決める英国の国民投票がまじかに迫ってきた。最近のカメルーン英国首相は、欧州共同体内での英国の立場を、難民受け入れと国家主権に関し特別扱いするように交渉していて、欧州内の居残りには賛成しながらも独自の自由な方向性での参加を考えている。しかしヨーロッパ側からすればこの国民投票で英国が全面的に欧州共同体の計画に参加する明快な態度と意思を以て居残ることを期待している。ドラギ欧州銀行総裁はユーロを救う為にすべきことは全部すべきであり、もっともそれをやってきた。欧州域内の財政、エネルギー、ニュメリック、エラスムス計画などで参加の強化がなされている。またヨーロッパの民主主義の建設が危機の中で独仏を主軸に強化されていることを語り、英国の決断のなさをなじっている。

欧州共同体の創始国は、第二次世界大戦の直後に英国を除くフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国で開始さえた。英国はヨーロッパから初めは距離をもっていた。1960年から英国はヨーロッパ大陸に政治の眼を向けるようになるが、独自の自由経済圏を6カ国以外の国々と提携しようと試みた。これが1960年のストックホルム条約である。

1961年以降は英国は欧州共同体に接近するようになるが、協調できない英国をフランスは嫌いドゴ-ルが二度の欧州防衛をやっている。1973年に英国は欧州共同体のメンバーに加入し二年後に国民投票で67%の賛成で欧州共同体に加入した。マーガレット・サッチャーが1979年に首相になって、ブリュッセルの欧州首脳会議で、「自分の金を返して欲しい」「自分は金を返還してほしいだけなのだ」と語り、英国の欧州への財政貢献修正を主張した。1984年に英国は金を返してもらったが、それ以降英国は品格が下がっていたようだ。

英国はヨーロッパ統一通貨に反対で、欧州共同体域内経済活動の自由な流動化を歌うシュンゲン協定でも、トニー・ブレア首相(1997~2007)も反対だった。英国は片足しか欧州共同体に置いてないといわれる。英国文明史の専門家であるブルゴーニュ大学のアニエス・アレクサンダー・コリエ教授は、たしかに英国はブリュックセルの欧州議会から注意を受けているが、だからと言って英国が欧州共同体の最悪の生徒というわけではない。どちらかというと英国は欧州議会の議決を守るほうであると語っている。

【参考記事】
http://www.liberation.fr/planete/2016/06/19/brexit-les-indecis-et-la-participation-cles-du-vote_1460528
http://www.francetvinfo.fr/monde/europe/la-grande-bretagne-et-l-ue/brexit-la-presse-britannique-prend-parti_1508509.html
http://www.huffingtonpost.fr/2016/06/20/brexit-football-scenario-noir-joueur-anglais-francais-kante-payet_n_10565636.html
http://www.lefigaro.fr/international/2016/06/19/01003-20160619ARTFIG00210-brexit-cameron-peine-a-se-faire-entendre-a-quatre-jours-du-referendum.php
http://www.slate.fr/story/119743/brexit-deutsche-ausgang
http://www.20minutes.fr/monde/1867419-20160620-brexit-royaume-uni-europe-histoire-vie-couple-mouvementee