2016年8月1日月曜日

法然の世界平和論を継承する創価の小善運動が、大膳を破り、世界戦争になる

法然の世界平和論を継承する創価の小善運動が、大膳を破り、世界戦争になる 戦争賛成よりも戦争反対が、無条件に正しいので、戦争反対を支持したい。と言うような、もっともなご意見を最近いただきました。これに関し少し考えてみたいと思います。 私の見るところでは、この主張と、非常によく似ているのが創価学会の池田大作氏という人の考えとよく似ていると感じました。池田さんは私も会ってこの件で、話したことはあるのです。そのうちにお話しできればと思っています。ここではとりあえず池田氏が反戦・反核の世界平和運動を世界の首脳や知識人だけでなく、各界・各層のあらゆる人々に訴える世界平和への旅という世界行脚を繰り広げてつい最近まで展開してきていたのです。 多くの有名人もそこにいて、世界のいろんな大学や文化施設などから、百を超えるメダルや勲章の数々を世界平和貢献で貰っていて驚くのです。池田大作というのは創価学会という宗教団体の一番上に立つ指導者で先生と会員は呼んでいる。場合によっては師匠とまで言う人もいる。

この方の先生という人がいました。名を戸田城聖と言って創価学会の第二代会長で、この人を私は横浜の水沢競技場で見たのをうっすらと覚えているのです。まだ若かった父親に連れられて結集要員としていった。 そこで戸田氏の有名な、「原水爆禁止宣言」と後に呼ばれたものですが、集まった創価学会の青年部への遺言として発表されたのです。

余談ですが、当時の青年部というのは中学生から40代の中年ではないかと思われるような人でも独身だと青年部なのです。私は分隊長を中学生の時に任命されて、隊長は40代でしたが、私の分隊には30代の青年もいました。こういう人達を私が面倒みることは大変なことだったのですが、そういう時代だったのです。とにかく創価学会というのは凄かった。 


話を戻しますと、戸田城聖が横浜で何と言ったかですが、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界におこっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆をいづこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべであるということを主張するものであります。」(347頁)(「原水爆使用者は死刑に」昭和32年9月13日青年部東京第5回体育大会 横浜三ツ沢競技場。 「戸田城聖先生 講演集下」昭和36年10月12日発行)と宣言したのです。

 ところが、この遺訓を守るべき池田大作は、公明党に原発基地の軍事利用は駄目だが平和利用ならやっても良いと許したのです。このアトムというのはイデオロギー抜きで言えば中立ですが、使い方により核爆弾になるのです。平和利用でも統制できなくなると福島の惨事が起こるということを見抜けなかった。或いは山口那津男君に聞いてみたいところですが、大臣の席が欲しかったのかもしれない。公明党は戦争を推進する安倍晋三首相を支持し与党となって戦争法案を可決させてしまったのです。

 創価学会・公明党は昔からの強力な日本での反核・反戦の団体で世界平和を目標にした宗教団体だったのです。「公明党」が何故「戦争」を推進しようとする安倍晋三首相に加担して自説を曲げて変節してしまったのかをどうでもよいとしてはなりません。今の日本の問題はこの辺にあるからです。世界平和を目標として信奉していた「創価学会・公明党」なのに、どうして戦争ができる日本にしようとする「自民党」と同衾できるのか? それは池田大作が創価学会の世界平和・文化路線への転換を理論づけるために、日蓮大聖人の「立正安国論」の逆さ読みの誤りを犯してしまったからなのだというのが私の考えです。

「立正安国論」を良く精読するとそれがわかります。逆さ読みすればそれは思想が反対になり世界平和は世界戦争になるのは当然なのです。 平和論が述べられている「立正安国論」は、創価学会にとっての世界平和論を思想的に創価学会の平和運動の理論的根拠とするために、どうしても日蓮大聖人の著作からの根拠が必要だったのです。

しかし、この「立正安国論」での平和論の展開では、念仏・法然の思想を汲む「客人」と、日蓮大聖人の立場である「主人」との対話方式で9答10問がなされているわけです。10番目の問には、答えがないのではなくて、この10番目の問は即ち、念仏・法然の平和論が誤りだと理解した「客人」の改心と決意の、返答になっているのです。この辺の所はフランス語訳では誤魔化されているのが多いのです。 

「立正安国論講義」(昭和41年7月3日発行)という池田大作が書いた1147頁ある大部の解説書があるのです。この本の中で、「主人」と「客人」との発言を転倒させることで読み筋を変えたのです。ですから創価学会が世界平和を推し進めれば進めるほど、念仏・法然流の世界平和論が広まるわけです。日蓮大聖人の平和論ではなくなっているのです。

ですから三災七難、天変地夭・飢饉疫厲が逆に起こって来ると、日蓮大聖人は「立正安国論」で実は話されていたのです。悪は善を破れないのですが、小善が大膳を破るのです。勿論、この小善運動というのは念仏・法然の主張である世界平和論で、誰も反対はできない一応の小善の言葉なのです。これが大膳を破るのです。悪が善を破ることはないのです。

上に述べました2200字ほどの文章では、まだまだ述べ足らない所があるのです。例えば創価学会・公明党のように「戦争反対」を声高に唱えてきた団体が、突如として安倍の「戦争推進」を支持しそれに賛成してしまうのです。これは全く不思議なことなのです。人間がそんなに簡単に手のひらを返すように、剽窃することは可笑しいのです。しかも反戦・反核、世界平和は創価学会の看板マークでした。私の言うのはそういうことなのです。どんなに世界平和を叫んでも、その思想が良くないのです。それが小善を唱えているからなのです。

「立正安国論」というのは日蓮大聖人がその辺のところの平和の問題を、人々の心を蕩かし騙す念仏・法然の「平和思想」が、どうしてその言葉に反して、国が国家安穏太平にならず、返って国に三災七難(穀貴・疫病・兵革、戦争・内乱などです)、天変地夭・飢饉疫厲が起こってしてきてしまうのかを問題にして書き現わされた書と拝しています。

ですから、ご質問の意図は私には、よくわかるようにも感じられるのです。念仏・法然の思想に搦め捕られた池田流の「世界平和論」と同じく戦争をやめさせるには平和を唱えることが先ずは大事だというのは、念仏だけではなくて世間の見解ではそういうのが一般的なのです。ですからいわゆる「日蓮宗」各派などにも池田大作のように世界を行脚して平和を訴えるのもいるし、また、団扇太鼓を叩き歩きまわる者などもいるわけです。しかしそれでは平和どころか本人たちも安倍政権の戦争支持者に剽窃していく恐ろしい事が起こるのです。それとは異なって私の話した筋というのは、「日蓮正宗」の見解に近いのだと思っています。(文字数⇨691)


簡単なことですが、ですからそれを法然流だと言っているのですね。平和を望み戦争を誰も憎んでいるのです。そこで念仏・法然や池田大作は何と言うかというと、もしも戦争が起こってしまったのなら、日蓮正宗の御本尊がどんなに素晴らしくとも戦火で焼けてしまったのでは、寺院もなくなり信仰もできなくなってしまう。だから、先ず第一に、世界の火種を消してゆく「世界平和」の実現をしなくてはならない。宗教のどれが正しいか誤っているかなどを論じている場合ではないのだといって、「立正安国論」に於ける日蓮大聖人の法門を捨てて、法然流で逆さ読みしたわけです。つまり法然の流れを汲む「客人」読みに蕩け落ちてしまって、「四海の静謐」という「世界平和」実現が、先ずは先きなのだという念仏・法然の思想を支持したということです。


ですから、創価学会・公明党の怖いのは、自分たちは日蓮大聖人の仏法に基づいていると言いながら、実はこの誤魔化しを隠していたことでした。しかし、当然のこと結果が顕れてくるもので、「平和論」を唱えながら、それが法然の「平和論」であったがために、安倍晋三首相の自民党と共に戦争推進支持に堕ちてしまったのです。戦争を嫌い平和を求める人の心は誰も同じで当然なのですが、それを説明し支える思想が法然・池田流ではだめだということです。(文字数⇨553)