2017年5月1日月曜日
2017年4月9日日曜日
エジプトでダブル・アタンタ コプト寺院2カ所で38人以上が死亡 ISが犯行声明
(パリ=飛田正夫 日本時間;09/04/2017-22:49:07)9日エジプトのカイロ北部タンタの町のコプト寺院で爆弾襲撃テロがあり27人が死亡。その直後にアレクサンドリアのコプト寺院付近でもアタンタがあり11人が死亡した。エジプトは復活祭を前にラモー(Rameaux)のミサの最中を狙ったダブル・アタンタに見舞われた。イスラム国家テロリスト組織(IS)が犯行声明を出している。エジプトにはエジプトのカトリック教会コプト寺院があって人口の10%ほどが信徒としている。カイロに本拠をもつイスラムのスニット派側はこの事件をエジプトの国家安定を崩壊するものだと見て社会構成体の結束強化を呼びかけた。フランソワ・オランド仏大統領はエジプトと共にこの恐ろしいイスラム国家テロリスト組織(IS)と戦うと話した。
2017年3月27日月曜日
仏聖職者57人が青少年への性犯罪行為 犠牲者339人
(パリ=飛田正夫 日本時間27/03/2017;8:24:02)カトリック教会の本山バチカンとフランスのカトリック教会の人的管理がリヨンの大司教フィリップ・バルバラン(Philippe Barbarin)枢機卿の青少年への性犯罪行為(ペドフィル)はフランスを驚かせた。その後で今度は、インターネット新聞の「メディアパー」がフランスのカトリック教会聖職者による青少年へのペドフィルの犠牲者が339人を数えていることを独自の調査によって、21日20時55分から「教会の中のペドフィル」と題してフランス国営放送テレビA2で発表した。この番組には聖職者も呼ばれていたが説明する機会となる事よりも避難される場となる事を恐れてカトリック教会側は誰も出席しなかった。たしかに32人の僧侶や20人の引退した司教と5人の現役の司教による青少年への性犯罪行為にはどんな説明の余地もないだろう。報道によるとこの数は1960年代以降から現在に至るものであるが、その半数は2000年以降に起きていると指摘している。
2017年3月11日土曜日
福島原発事故は予告 ボールディングの「宇宙船地球号」や池田の「世界平和論」から
(パリ=飛田正夫 日本時間;11/03/2017-17:02:18)私が中学生の頃でしたかアメリカの経済学者ボールディングが日本に来て大変な騒ぎだったのを覚えています。テレビでも何回か講演が写されていた。彼の「宇宙船地球号」の警告と主張はイメージ的に公害汚染の環境破壊を抱えた日本にはよくわかりやすかったし、その後の日本での影響は各方面に大きかったと思います。世界でも同様に特に核や環境汚染問題で現代の世界環境合意「コード21」の可決などに影響を与えてきていると思います。ただ彼がクェカー教徒だとはその当時から言われていましたが、宗教経済学者との名前は無かったしその関係も論じられなかったのだと思います。しかしその宗教と2011年3月11日の福島原発事故との関係は私には非常に興味があるものです。なぜ日本が福島原発事故のような取り返しのつかないことを起こしてしまったのか、それが地球全体の将来を「宇宙船地球号」として予告しているからです。これを宗教との関係で、いま読み解く必要があるはずです。このボールディングの考えに非常に共感した人に池田大作がいるのです。彼の仏教観にも近いものであったのでしょう。池田大作は創価学会ですが、世界平和に関する思想では日蓮大聖人の考え方とは正反対であったのです。むしろ念仏・法然の思想に近かったのです。つまり世界の静謐を収めようとすることを全面的に立てるところにボールディングの地球運命共同体の思想が池田大作と一致するわけです。ですから宗教者としての法然先生とも繋がっているわけです。宗教者としてのボールディング、宗教者としての池田、法然はこの世界平和論の立ち位置で繋がっているのです。
2017年2月22日水曜日
創価の本尊が 弘安二年の大御本尊に限らないのは戸田城聖の「分身散体の方程式」による
(パリ=飛田正夫 日本時間;-)「分身散体の方程式」という創価学会独自の理論の出ているのは、「戸田城聖先生 講演集 下」(昭和36年10月12日初版 創価学会発行)の112頁です。これによると弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものであれば、弘安二年十月十二日の大御本尊に限らず、それ以外の御本尊でも法脈は切れてないと立てることが可能だという戸田の言動だったということです。この戸田城聖の「分身散体の方程式」というのは、昭和30年8月24日に北海道地方折伏講演会 札幌市商工会議所での講演でなされているのです。
創価学会の第二代会長の戸田城聖が妙悟空のペンネームで書いた「人間革命」(昭和32年7月3日初版 精文館発行)の31頁~32頁にかけて、「一閻浮提総与の御本尊です。」となっているわけで、「大御本尊」とはなっていないのです。「大」の一字 はここには消えていて無いのです。これが戸田城聖の「人間革命」に弘安二年の十月十二日の大御本尊様を戸田は絶対的に信じていたのだという人がいるとしたら、その人は、この「大」の一字を後で付け加え、添加した版を見て言っているのでしょう。
創価学会の第二代会長の戸田城聖が妙悟空のペンネームで書いた「人間革命」(昭和32年7月3日初版 精文館発行)の31頁~32頁にかけて、「一閻浮提総与の御本尊です。」となっているわけで、「大御本尊」とはなっていないのです。「大」の一字 はここには消えていて無いのです。これが戸田城聖の「人間革命」に弘安二年の十月十二日の大御本尊様を戸田は絶対的に信じていたのだという人がいるとしたら、その人は、この「大」の一字を後で付け加え、添加した版を見て言っているのでしょう。
私は戸田城聖の思想が既に誤った法華経解釈をやっていたことから、今日の創価学会が本尊に迷ったのは戸田城聖が本尊に迷っていたからで、日蓮大聖人の教義に違背していたからだと見ています。
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2017年2月15日水曜日
仏の警察は 若者では一般の7倍超を 身元尋問検査
(パリ=飛田正夫 日本時間;15/02/2017-15:31:25)人権擁護団体の調査でアラブ人や黒人の青年の80%が最近の5年間に尋問検査に会っているという調査結果が発表されている。パリ近郊のオルネー・スー・ボワ(Aulnay-sous-Bois)で2月3日に4人の警察官が黒人青年のテオ君を路上尋問して暴行した上に尻に10センチほどこん棒を入れて強姦した事件で、フランス中の移民たちがこれに抗議して暴動化した事件も起きている。ルモンド紙の2月14日によるとこの種の統計は少ないのだという。人種差別を表現することになるからだが、ルモンド紙は人権擁護団体の5117人を対象にしたこの珍しい最新の調査を発表している。
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2017年1月30日月曜日
ケベックのイスラム寺院で祈祷者50人がテロ襲撃 6人死亡8人負傷
(パリ=飛田正夫)29日、カナダのケベックにあるイスラム文化センター内にあるイスラム寺院での夜の祈祷に集まった50人程に向かって、二人の覆面をした男性が発砲し6人が死亡し8人が負傷する事件があり、カナダのジュスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相はイスラムを襲ったテロリストの犯行で許せないものだと30日に亡くなった遺族に対し弔意を表したFRANCE24.com(日本時間30/01/2017)などが報道している。
2017年1月29日日曜日
マイ英首相の米・トルコ訪問で残した 移民・難民の人権への心の揺れ
(パリ=飛田正夫)テリーザ・マイ英首相が28日にトランプ米大統領やトルコ大統領エルドガンを訪問して欧州離脱(Brexit)を成功させるために危険な国際情勢の亀裂拡大を利用しようとして諸国を廻って発言したことが、マイ英首相の移民・難民への人権感覚の貧困性を覗かせていて疑問視されている。米国訪問ではマイ英首相とトランプとは英米共に外国人嫌いで共通点がある。保護貿易では既に米英は合意が出来上がっていて、マイ英国首相はトランプのアメリカとの特殊な経済取引関係に、英国の欧州離脱の運命をかけている。この提携が新たな展開を与えると共同記者会見で話した。マイ英首相はその直後に訪問したトルコでは「米大統領の移民排除政策を批判するのを拒絶する」と厳しい態度を記者会見で表明していた。しかし、その数時間後にはトランプ米大統領の移民対策のやり方には反対だとマイ英首相のスポークスマンが宣言した。また、「この衝撃が英国民にもし影響を与えたのならば英国は米政府に介入するだろう」「移民・難民の問題はそれは米国に責任があることで、英国は英国の移民・難民に政治的責任がある」と付け加えている。「トリビュー・ド・ジュネーブ」が報道している。マイ英首相はどこか前言の誤りを繕った不確かな誤魔化しの匂うもで心の揺れがあるのだろう。
トロンプのイスラム人米渡航差別にイラン大統領が相互原理で対応
(パリ=飛田正夫)29日朝10時30分の国営ラジオ・フランス・アンフォによると、イランは米国トランプ大統領が決めたイラン、シリア、イラク、アラブ・イスラム諸国7カ国の渡米禁止に対応しイランもまた米国人の国内渡航を禁止した。これは同じ仕打ちをする互換性のことで相互的原理に基づくものだとイランの大統領は昨日28日に発言していた。近隣7カ国の内ではサウジアラビアは除外されている。トランプの米国大統領就任7日にして世界は危険な人種差別の政治の渦に巻き込まれつつある。(日本時間29/01/2017-19:01:28)
2017年1月21日土曜日
米が餓鬼道・紅蓮地獄に堕す前に トロンプには真実の法華経を与えるべき事
(パリ=飛田正夫 日本時間;21/01/2017-17:35:03)トランプのアメリカ大統領就任演説を聞いて、私は「米大統領就任演説 餓鬼界のトロンプとアメリカをどう救済するか」と思ったわけですが、何故「餓鬼界」なのか?そしてこの「餓鬼界」を救うとはどうすることなのかを少し考えてみた。地獄・餓鬼・畜生というのは仏法では「三悪道」の事である。人を愛(いつく)しみ他者への慈愛の行動を惜しまない人界・天界、或いは声聞界や菩薩界とは到底程遠い低い自己中心的なエゴの渦巻く生命状態なのであって、この三悪道では人間の貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろかさ)が支配する大六天の魔王の所領する世界なのです。この貪・瞋・癡(どん・じん・ち)の三毒の煩悩に侵されると財や富がいくらあっても飽くことをしらなくなるのです。答えを先に短く言うと、餓えたアメリカに本当に与えなければならない筈の「大王膳」を出し惜しみして創価学会が隠してしまって、別の池田大作仏の信仰にすり替えてしまった為に、アメリカの地獄・餓鬼・畜生という「三悪道」は火に油を注ぐが如く燃え上がったということです。
米大統領就任演説 餓鬼界のトロンプとアメリカをどう救済するか
(パリ=飛田正夫 日本時間;21/01/2017-02:53:43)フランス時間で16時45分から20分程のアメリカ大統領就任演説があった。トロンプの話が終わらない内にフランソワ・オランド仏大統領のコメントがテレビ国営ラジオ・フランス・アンフォのテロップで流れそのプロテクショニズムが批判された。トロンプは雇用でも産業でもアメリカを一番先にして考えるというエゴイズムである。これはオバマ大統領の就任演説の時のように世界に開いたアメリカの援助の認識は全然かんじられないものであった。アメリカは誤った指導者に引き連れられて餓鬼界に落ちてしまうのだろうか?餓鬼界の下が地獄界だが餓鬼界の上は畜生界でこれは戦争だ。
2017年1月19日木曜日
イタリアを見舞う大地震と大雪の不思議に国民が疑問
(パリ=飛田正夫 日本時間;19/01/2017-01:49:10) 1月18日朝方にマグニチュード5,3と5、7の地震がイタリアの中央部であった。ローマではメトロや学校が封鎖されているが、人的な被害は無かった。今回は最初のものは10時25分に起こりマグニチュードは5,3と欧州・地中海地震センター(CSEM)が観測。これは長く続き11時14分には5、7になっている。11時25分にはマグニチュード5,5の別の地震が起きた。これらの強度の地震はローマでも明快に感じられた。場所はイタリア中央部のピィティニャーノ (Pitignano) とモンテレアーレ(Montereale) との間で、昨年8月24日にはローマ近くの山岳地帯で1980年以来最大のマグニチュード6,0を記録し300人近くの死亡者を出した「アキラ」(Aquila)の村からは20キロほど北部にある。この地方は10月30日にも地震に見舞われていて精神的なショックを受けていた。
2017年1月11日水曜日
宮田教授の釈迦仏法への転換論が 創価学会にテロや殺害を認めさせる
8日にエルサレムで起きたトラック襲撃ではイスラエル兵士らがガイドに連れられ市内観光でバスから降りたところを突撃された。若い女性3人と男性1人が死亡し15人が負傷した。犯行は子供4人を持つ28歳のパレスチナ人だと報道された。そしてこの犯行の知らせを聞いたガザの人々が殺害を喜んでいる映像が写されている。人間を殺すことを喜びとする人々がいることが思想的低さを現わしている。この点では、仏教は思想的にはキリスト教やイスラム教とは同じではないだろう。しかし最近の創価学会の一部(宮田幸一 創価大学教授の「日本宗教学会第74回学術大会」)では、創価仏教はこれら世界宗教と同じだとする考えがあるらしい。ここでの創価学会の釈迦本仏論への同一視の中で人間軽視が行われる可能性が高い。そうなれば、日本の創価学会などの仏教徒が平気で安倍と一緒になって人殺しができる日が来るだろう。
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2016年12月30日金曜日
新年のはじめを祝うとは「法華経」をもてなす心の事
(パリ=飛田正夫 日本時間30/12/2016;14:25:仏時間30日06:25)日蓮大聖人の「御書」(平成新編1551頁)に「十字(むしもち)御書」というのがある。新年の初めにこの御書を拝読するのが年の始まりの行事のようになって久しい。その冒頭に「十字一百まい・かしひとこ給び了んぬ。正月の一日のはじめ、としのはじめ、月の始め、としのはじめ、春のはじめ。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつるがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさりひとにもあいされ候なり。」とあり、ここで「此を」と言われていることは長い間、私は「元三の志し元日にも超え」などと言われることから、これは正月はじめのことであると思っていたのです。そういう意味も確かにあるだろう。しかしここでの「此をもてなす人」の意味は「法華経をくようしまいらせんと」する人の心のことであると思ったのである。この「はじめ」とは、本因妙の「法華経」のことであって、結果良ければすべてよしとする年末を祝うキリスト教の祭りや外道や偽仏教の教えには無いことだということである。本因とは因果でいう所の原因を大切にする下種仏法のことでもある。そいういう意味がこの「十字(むしもち)御書」にはあるのだと拝したい。したがって「今日本国の法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねき出だせり。此れをもってをもうに、今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来るべし。法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。又々申し候べし。」(1552頁)とあり、外からわざわいを集める国があるというのである。
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2016年12月25日日曜日
「隣人愛」を超えて 貧女が一子を「慈愛」する事とは
今日のクリスマスを前にどういうわけかフェースブックでの流れから、「隣人愛」について少し考えることになった。私などに隣人愛は難しい目標のように考えさせられていきてる。キリスト教の「隣人愛」との関連もあってなのでしょうか。自分が隣にいる他の人を愛するということは、一番身近な家族とか兄弟、両親や配偶者を愛せるかという問いでもあります。フランスに長年住む私の場合ですと、「隣人」を距離的なものとして考えると、それは肉親ではなくてまさに他人を愛せるかという問題になります。ここに親子の血の繋がりと、それが直接にないもう一つの「隣人」への愛の問題があると思います。
ジェリコーというロマン主義のフランスの画家が描いた「メデュース号の筏」(1819年)という大変に有名な大きな絵がルーブル美術館にあります。実際に在ったセネガルへ向かう海上で起きた仏艦船メデュースの遭難事故(1816年7月)の史実を基にして描かれていて、筏の上には149人が漂流していて、そこには食料は無かったのですがワインの酒樽が多数乗っていた。その為に酩酊し吐き気を催すような無秩序な惨事が起きたと言われています。絵の前景左に何処かで見たことのあるような赤い頭巾をかぶった年老いた人物が、若い青年を左膝に抱いて右腕を顔に持たせて考えている様な姿が描かれている。これはジャンバプティスト・カルポーの「ウゴランとその子孫」で昔しに彼の生まれたバレンシアンの博物館で見た彫塑の老人ではなかったのか。このジェリコーの絵の老人の前には多くの死体が横たわっている。餓えと苦しみの中に人食があったらしいのです。
オルセー美術館の一階ホールの真ん中にジャンバプティスト・カルポーの「ウゴランと子孫」の作品が置かれている。人食をテーマにした大きなブロンズ像で、よく見ると親が子供を食べている。カルポーはイタリアのフィレンツェに旅をしていて、ダンテの「地獄」で語られたウゴランの話しをテーマにしたという。これは13世紀のピサで政敵の大司教ルジエラ・ウバルディニに訴えられてゲスランディの塔に子供や孫までが幽閉されてしまった。そこの飢餓の為にウゴランは子供の薦めもあって、これを受け入れた自分が死ぬ前に人食したというのである。
ジェリコーの「メデュース号の筏」の絵では人食をしているのかは良くはわからないのですが、カルポーがジュリコーのこの作品を見ていたとすれば、これは理解できることなのです。私はそう思っているのです。
同じ人食でも、カルポーのウゴランでは親子の血の繋がりがあるのです。この問題は私の頭のなかでは直ぐに、ローマにあるミケランジェロのピエタの聖母子像(1500年頃)と、仏典にある「貧女が一子を抱いて大河を渡り途中で母子共に溺死してしまう」話しとの違いを思い浮かべてしまうのです。
キリスト教では、キリストは神の子だと言ってもそこにマリアとキリストとの人間的な性的関係を認めない。しかし聖母との間にはキリストは人間の子どもとしてマリアの胎内から生まれたわけで人的血縁関係があるわけです。
仏典の「貧女が大河を渡る」話しでは、ここでは只一つだけ言えば、貧女は産後間もない一子を抱いて急な流れの大河を命をかけて渡るのです。この一子の母ではあるが父親はいなかったのではないかと思われる表現があるからです。それはこの母親の素性と関係していて、だから「貧女」と呼ばれるわけですが本当は子のない女性が本当の貧女だという事も言えるのです。が、今回はこれは指摘だけに留めておきます。
さて貧女ですが、定まった家もなく流浪の旅に暮らしていて絶えず虻蜂毒虫に刺されて苦しんでいたわけです。ある所で宿屋の主人に子供を孕んだことが知られてそこを追い出され一人産をするのです。行く先を求め大河の畔までくるのです。ここで彼女は産後間もない一子と共にこの河を渡って別の国へ行こうと決意し、泳ぎはじめ力尽きて一子と共に溺れ死んでしまったのです。
聖母キリストの場合には、キリストは聖母の子としての存在なわけですが、貧女の子供の場合には素性の判らない一子なのです。
ミケランジェロのピエタ像の彫刻は、磔刑に掛かって死んだキリストの亡骸を抱き悲しむ母親の姿(ピエタ像)なわけです。母親は子の十字架に掛かるのを手をこまねいて傍観していたわけです。それで後に子の死を泣き悲しんだ像というわけです。
「貧女」の方は一子と共に溺れ死んでしまう。子を手放して自分だけで泳げば泳ぎ切れたのでしょうが、それを貧女はしなかったのです。最後まで子どもを手放さずにいたので、力尽きて共に死んでしまうのです。その一子を捨てなかった慈愛の深さによって、仏典では貧女は、母子共々に天に生ずることができたと日蓮大聖人はその著作の中で話されているのです。日蓮大聖人はこの「一子」とは生命の尊厳のことで「南無妙法蓮華」のことだと言われていたかと記憶しています。
私が「隣人愛」で思うのは、ひょっとして不実な愛で生まれた子供でも、女性が捨てずして他人への愛を超えて真実の慈愛を持つことが出来るということを示された御文ではないかと感動しそこに女性への尊厳を感じるからです。
ピエタの方は自分の子供を見殺しにして子を捨てた母親の悲しみなのだと思います。ですから「隣人愛」をキリスト教的にみると、母親の盲目の悲しみとそれを導いた愛を認めてしまうことになるのです。そこに救いがないわけで、女性を運命に随う力ないものとして蔑視して見ていることにもなってしまうのだと考えるのです。これらの先に女性の成仏の有無が予告されているのを感じるのです。
宗教から人間をみるとわからなくなりますが、人間から宗教を見るとそこにキリスト教のような人間観の蔑視があったことがわかるのです。仏典でも小乗や大乗の誤った理解では女性は成仏しないことが説かれている。女性は男性と差別されているのです。やはりそこのところは現代の女性解放という中では同様な限界があると思っています。理由はそういった宗教には人間の苦しみや悩みを解決する力がないということです。それで私は「愛」と「慈愛」と分けて考えてみているのです。ヨーロッパのキリスト教を基にした芸術・文化とはその前者の「愛」をテーマにしたもので、「慈愛」の女性・或いは母親は語られてないと思っています。(日本時間 25/12/2016)
ジェリコーというロマン主義のフランスの画家が描いた「メデュース号の筏」(1819年)という大変に有名な大きな絵がルーブル美術館にあります。実際に在ったセネガルへ向かう海上で起きた仏艦船メデュースの遭難事故(1816年7月)の史実を基にして描かれていて、筏の上には149人が漂流していて、そこには食料は無かったのですがワインの酒樽が多数乗っていた。その為に酩酊し吐き気を催すような無秩序な惨事が起きたと言われています。絵の前景左に何処かで見たことのあるような赤い頭巾をかぶった年老いた人物が、若い青年を左膝に抱いて右腕を顔に持たせて考えている様な姿が描かれている。これはジャンバプティスト・カルポーの「ウゴランとその子孫」で昔しに彼の生まれたバレンシアンの博物館で見た彫塑の老人ではなかったのか。このジェリコーの絵の老人の前には多くの死体が横たわっている。餓えと苦しみの中に人食があったらしいのです。
オルセー美術館の一階ホールの真ん中にジャンバプティスト・カルポーの「ウゴランと子孫」の作品が置かれている。人食をテーマにした大きなブロンズ像で、よく見ると親が子供を食べている。カルポーはイタリアのフィレンツェに旅をしていて、ダンテの「地獄」で語られたウゴランの話しをテーマにしたという。これは13世紀のピサで政敵の大司教ルジエラ・ウバルディニに訴えられてゲスランディの塔に子供や孫までが幽閉されてしまった。そこの飢餓の為にウゴランは子供の薦めもあって、これを受け入れた自分が死ぬ前に人食したというのである。
ジェリコーの「メデュース号の筏」の絵では人食をしているのかは良くはわからないのですが、カルポーがジュリコーのこの作品を見ていたとすれば、これは理解できることなのです。私はそう思っているのです。
同じ人食でも、カルポーのウゴランでは親子の血の繋がりがあるのです。この問題は私の頭のなかでは直ぐに、ローマにあるミケランジェロのピエタの聖母子像(1500年頃)と、仏典にある「貧女が一子を抱いて大河を渡り途中で母子共に溺死してしまう」話しとの違いを思い浮かべてしまうのです。
キリスト教では、キリストは神の子だと言ってもそこにマリアとキリストとの人間的な性的関係を認めない。しかし聖母との間にはキリストは人間の子どもとしてマリアの胎内から生まれたわけで人的血縁関係があるわけです。
仏典の「貧女が大河を渡る」話しでは、ここでは只一つだけ言えば、貧女は産後間もない一子を抱いて急な流れの大河を命をかけて渡るのです。この一子の母ではあるが父親はいなかったのではないかと思われる表現があるからです。それはこの母親の素性と関係していて、だから「貧女」と呼ばれるわけですが本当は子のない女性が本当の貧女だという事も言えるのです。が、今回はこれは指摘だけに留めておきます。
さて貧女ですが、定まった家もなく流浪の旅に暮らしていて絶えず虻蜂毒虫に刺されて苦しんでいたわけです。ある所で宿屋の主人に子供を孕んだことが知られてそこを追い出され一人産をするのです。行く先を求め大河の畔までくるのです。ここで彼女は産後間もない一子と共にこの河を渡って別の国へ行こうと決意し、泳ぎはじめ力尽きて一子と共に溺れ死んでしまったのです。
聖母キリストの場合には、キリストは聖母の子としての存在なわけですが、貧女の子供の場合には素性の判らない一子なのです。
ミケランジェロのピエタ像の彫刻は、磔刑に掛かって死んだキリストの亡骸を抱き悲しむ母親の姿(ピエタ像)なわけです。母親は子の十字架に掛かるのを手をこまねいて傍観していたわけです。それで後に子の死を泣き悲しんだ像というわけです。
「貧女」の方は一子と共に溺れ死んでしまう。子を手放して自分だけで泳げば泳ぎ切れたのでしょうが、それを貧女はしなかったのです。最後まで子どもを手放さずにいたので、力尽きて共に死んでしまうのです。その一子を捨てなかった慈愛の深さによって、仏典では貧女は、母子共々に天に生ずることができたと日蓮大聖人はその著作の中で話されているのです。日蓮大聖人はこの「一子」とは生命の尊厳のことで「南無妙法蓮華」のことだと言われていたかと記憶しています。
私が「隣人愛」で思うのは、ひょっとして不実な愛で生まれた子供でも、女性が捨てずして他人への愛を超えて真実の慈愛を持つことが出来るということを示された御文ではないかと感動しそこに女性への尊厳を感じるからです。
ピエタの方は自分の子供を見殺しにして子を捨てた母親の悲しみなのだと思います。ですから「隣人愛」をキリスト教的にみると、母親の盲目の悲しみとそれを導いた愛を認めてしまうことになるのです。そこに救いがないわけで、女性を運命に随う力ないものとして蔑視して見ていることにもなってしまうのだと考えるのです。これらの先に女性の成仏の有無が予告されているのを感じるのです。
宗教から人間をみるとわからなくなりますが、人間から宗教を見るとそこにキリスト教のような人間観の蔑視があったことがわかるのです。仏典でも小乗や大乗の誤った理解では女性は成仏しないことが説かれている。女性は男性と差別されているのです。やはりそこのところは現代の女性解放という中では同様な限界があると思っています。理由はそういった宗教には人間の苦しみや悩みを解決する力がないということです。それで私は「愛」と「慈愛」と分けて考えてみているのです。ヨーロッパのキリスト教を基にした芸術・文化とはその前者の「愛」をテーマにしたもので、「慈愛」の女性・或いは母親は語られてないと思っています。(日本時間 25/12/2016)
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2016年12月18日日曜日
宮沢賢治の「永訣の朝」日蓮大聖人の「法華経」から読む
「永訣の朝」何十年かぶりかに読み返しました。これを初めて読んだのは中学生か、高校生のころだと思う。今読んでも新鮮でそこに「法華経」を日蓮大聖人の御遺文を通して拝していた宮沢賢治の思想が垣間見られる思いだ。妹のトシが臨終を前にして、「雨雪を取って来てくれるように」賢治に頼んだ言葉だが、今読み返しても、この「けんじゃ」はひらがなで書いてあるので、岩手地方の方言での願いを表現する語法だったのかもしれないが、たとえそうであっても、そこにそれとは別に、「けんじゃ」は「賢治」と重なっているとも考えられなくもない。これは私の考えだが、今回読み返してみて、この詩には隠れた言葉の意味があちらこちらに埋まっているのを見るからです。ここでは宮沢賢治の「永訣の朝」の詩に限って、いくつか簡単に指摘する。この詩にでて来る「兜率天」だが、これは賢治の妹トシの事を意味していると考えるべきです。そうしないと何で「兜率天」が突然に出て来るのか全く理解がいかず戸惑ってしまうのです。
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2016年11月26日土曜日
パリは12月1日に再度の同時多発テロが計画されていた
(パリ=飛田正夫 日本時間;26/11/2016-15:37:41)24日昼にフランソワ・モラン(François Molins)仏共和国検事が記者会見した。マルセイユとストラスブルグで先週末に5人のモロッコ人フランス人、アフガニスタン人が検挙されたが、彼等はシリア・イラク地区からの遠隔操作(テレギデ)で動いていた。パリ圏での特にデズニーランドとパリ警視庁、内務省管轄の情報機関仏国内治安総局(DGSI)、パリのシャンゼリゼ大通りのマルシェ・ド・ノエルと呼ばれるクリスマス屋台市場、パリ20区のバーやメトロの駅、多くの宗教施設などを狙った同時多発テロを、12月1日に実行する計画をしていたことが発表された。これが未然に発覚されテロが防止されたといっている。家宅捜査では自動小銃やプストル、多くの弾薬が発見されている。フランスは現在は最高度のテロの脅威に晒されている状態だとも話している。
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2016年11月22日火曜日
「創価学会・公明党」=「自民党」の関係で一言
「世界」に投稿されていたものが縁となって岩波から『創価学会・公明党の研究――自公連立政権の内在論理』中野潤著が 出版されたみたいですね。ジャーナリストだという事らしいです。確かに創価学会・公明党のことは言いつくされている観もします。「創価学会・公明党」=「自民党」というのも論理内在的な繋がりがあるのです。それは政治権力と宗教論理という関係で、多くの人がというよりも創価学会の池田大作が誤って日蓮大聖人の「立正安国論」の中で展開された客人の思想(念仏法然)を読み取り違えて、日蓮大聖人の思想なのだと、つまり天下泰平・世界平和の方策を執るのが日蓮大聖人の「立正安国論」での主張であったのだと書いてしまったのです。
ニュース、フランス、ヨーロッパ、社会、宗教、移民、難民、不平等、人権、
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2016年10月3日月曜日
「朝日」がインタビュー 原田稔創価学会会長の世界平和は戦争を呼ぶ法然先生が源流
創価学会の会長を三期つとめる原田稔さんが朝日新聞のインタビューに答えているのが、デジタル記事(2016年9月22日05時00分)で掲載されている。そこで一番面白いと思ったことは創価学会が何故に世界平和運動を展開しているかの理由を朝日の記者に述べているからである。実はこれはもう何十年も前に、創価学会の池田大作会長が言っていたことの繰り返しなのである。もっというと鎌倉時代の日蓮大聖人がその著述「立正安国論」の中で、念仏法然の思想として「天下泰平国土安穏」という「四表の静謐」を求める世界平和論が主張されていたのを池田大作氏が、「立正安国論」の講義録を造った時に、対話形式で書かれていた「主人」と「客人」との主張を逆さまに取り換えて理解してしまった。その誤りが源流となって、そのまま継承されてしまったということである。この念仏の立場の主張は宗門から離れた創価学会ならではの念仏法然を源流にもつ恐ろしい理論であり、これこそが日蓮大聖人が「立正安国論」で念仏宗に破折を加えたものであったのだが、その誤った「客人」の主張が、今回の原田稔会長の意見となっているのにはそういうわけがあったのである。
2016年9月25日日曜日
仏人は移民・難民の混血人 バルツ仏首相 ガリア人先祖のサルコジを批判
(パリ=飛田正夫 日本時間;25/09/2016-09:01:21)23日、セネガルのダカーで開催されたフランス人の集会を前にマニュエル・バルツ仏首相は、我々がフランス人であるのは、歴史的な先祖にガリア人がいるからではないと、サルコジの誤れる共和国の認識を批判した。バルツ首相は我々がフランス人であるのはその先祖によってでも宗教によってでも、皮膚の色によってでもないと話した。特にバルツは二つの大戦を取り上げて話し、フランスの価値は多様性にあり混血にある。それらを愛するユニバーサルな価値に深く根差すものであると話した。だから今日のフランスは混血社会であり、移民・難民という事であれば、フランス国民は全て移民・難民なのだと話した。
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