戦争反対や核開発反対、そして対話交渉の必要性は誰もが言っている。この問題はそれにはどうしたらよいのかの解決策がないために、逆に「対話交渉が必要だという」この様な主張は結果的には、小池も安倍の話しの相違点も些細なことでしかないと結論付けられることになってしまいがちである。それはどうしてかというと、例えばだが、日本の戦争が何故起こったのかの原因が軍国主義の精神的支柱となった国家神道や誤れる念仏・真言などの偽仏教思想にあったのだと指摘し糾弾することがないという欠陥があるからです。このことを当時から詳しく知りながらも、正面から批判もせずに、この弾圧に挫折してしまったのには創価学会の第二代会長の戸田城聖らがいたということなのです。終戦を待たずして巣鴨刑務所から戸田城聖が出所できたのは、そこに軍部・国家権力者達との何がしかの妥協があったということなのです。戸田はこれを後悔したこともあったようだが、創価学会の池田大作はこの事実を歪曲して解釈・脚色して、獄死した牧口常三郎と生きて監獄を出た戸田城聖とを並べ同じて見せて、彼等は国家権力の弾圧と戦い切ったのであり、これが「反戦・平和」が創価学会の永遠の原点である証拠なのだと会員を騙し続けたのです。戸田城聖の出獄にはこの時に当時の軍部権力者達と何らかの取引があったと考えたほうが理解に無理が無いのです。
戸田城聖の死の直前であったが、創価学会の池田大作ら青年部幹部を日蓮正宗の総本山大石山に集めてこの仏法が広く世界に流布した暁に行う儀式の「模擬試験」を挙行した。これには戸田の健康の事を心配して車伽(しゃが)を作り戸田をこれに乗せ、当時の首相で今の安倍晋三首相の祖父にあたる岸信介を招待されていた。しかし来るはずの首相が来なくて代行として娘がやって来た。それが安倍の母親であったと記憶している。
「指導算術」の著者であった創価学会の戸田城聖は終戦前に早々と許されて巣鴨刑務所を出ることができたが、同じく思想犯として公安維持法で巣鴨刑務所に収監されていた「三太郎の日記」の著者は終戦後もなお巣鴨刑務所の中に据え置かれ続けそこで死亡した。