2017年12月9日土曜日

ジョニーとド・オルムソンの葬儀を、釈尊弟子の目連尊者ならどう見るか

最近ほぼ同時にフランスで亡くなった歌手でカトリック信者のジョニー・アリディーとアカデミーフランセーズ会員ジャン・ド・オルムソンの葬儀を、釈尊の十代弟子の一人であった目連尊者ならばどう見るかということを少し考えてみた。もっともこれは、ジョニーの場合にはフランスですから、こういうことは誰も知らないのです。本人もマクロン仏大統領もサン・ロック教会のカトリック僧侶もマドレーヌ寺院の僧侶たちも知らない。そういう中で、一方で共和国の政教分離(ライシテ)の精神を犯してまで頸(くび)に大きな十字架をぶら下げるジョニーの宗教葬儀をマドレーヌ寺院で挙式しその追悼を45分もすべきであったのかという批判が起こって来るわけだ。それだけでなく病気の姿で苦しみながら死んでいったジョニーや急性心臓麻痺で頓死したオルムソンの姿には仏法でいう成仏の印象は感じられない。

目連尊者は母親の死後に母親は何処にいるのかと心配で、彼の持つ神通之力を使って探してみた。母親は紅蓮地獄の中に堕ちていて、燃え盛る焔の中で苦しんでいたのであった。目連は、それを見て焔を消して母親の苦を救おうとして水をかけた。しかし水が油に変じてしまい、母親を更に苦しませることになってしまった。目連はどうしていいかわからずに、先生であった釈尊の元に走り教えを聞いたのである。釈尊は、目連の母親が生前に出し惜しみの慳貪(けんどん)の罪を犯していて、この因果によって紅蓮の焔の底に苦しんでいるのだと事の因果を話す。この物を惜しむエゴイズムの餓鬼界の衆生には「法華経」によってしかその苦しみは救えないと教えたのです。その為に餓鬼界の衆生の追善供養には当然のこと「法華経」を読む必要があるのです。


憐れな事に、自ら右派を名乗り貴族でアカデミーフランセーズ会員のエゴイストと言われたド・オルムソンも、また税金をフランスに払わなかったので有名なジャニーもこの出し惜しみの慳貪の罪に落ちたのであろう。肺癌や急性心臓麻痺で苦しんで死んでいったのだと目連尊者ならば見るのだと拝するのである。

ジョニーの死の原因が肺癌でシミオテラピーで疲れやつれた顔はとてもキリスト教での天国へ行ったとも思われない。ド・オルムソンの急性心臓麻痺での急激な痛みは即刻地獄に堕した姿を現じたようなものだったのではないかと推測する。それを表現すれば死んでしまうほどのものであったのだろう。

本当はそのことを真剣に語らなければ彼等の死を追悼することにはならないし、彼等の死も浮かばれないのであると思う。彼等のこの苦悩を救う為には、シャンゼリゼ大通りをジョニー・アリディーの好きだったバイクを走らせて行進しようが、アンヴァリッド廃兵院でオルムソンの棺の上に、彼の遺言に従って、一本の鉛筆を乗せてみようがどうにも解決できないのは誰もが知っているはずだ。

この肺癌で晩年を苦しんで死んだ歌手はスイスに住んでフランスで稼いだが、その吝さ加減からかフランスには税金を払わなかった。

死は一定だがその最後の死相が大事なのであると思う。殆ど同じくして死亡したサルコジが讃えるジャン・ド・オルムソンは哲学者であり著述家であるアカデミーフランセーズ会員だが、この人はパリ大通り近くのサントオノレ通りにあるサン・ロックで昨日カトリックで埋葬があった。

ジョニー・アリディーの埋葬追悼パレードは、ジョニーの好きだったバイクを連ねてパリシャンゼリゼ大通りをコンコルド広場まで下り、王宮通りを通って到着点のマドレーヌ寺院に棺が運ばれた。寺院の前の王宮通りを埋めた参列者を前にマクロン仏大統領が追悼講演を45分以上も寒さの中で行っている。このコースの選択は共和国フランスが決めたのだがフランス国の政教分離(ライシテ)の精神からは甚だしく乖離したものであったことが、いくつかの勇気あるメディアが報道している。