2011年2月6日日曜日

ニジェール殺害の2人の仏青年 司法解剖の結果が発表 遺族はなお疑問

1月7日にニジェールで誘拐され8日夜にマリ国境を越えた付近で殺害された2人のフランス人青年アントワンヌ・レオクール氏(25歳)とその幼友達バンサン・ドゥルリー氏(25歳)の死因を巡って、ドゥルリー氏の死因が不明であった。が、2月3日、パリの検事は死体の司法解剖検査と弾道学的な結果だとして発表した。撃たれたのではなくて、火災による焼死だと宣言されたが、遺族側は火災の原因はどこにあったのかと納得できないとして本当の死因を知りたいと疑問を提起。裁判を起こす構えでいる。

左派系知識人や青年学生層に多く読者にもつリベラシオン紙によると、レオクール氏の方は近距離から撃たれたことが唯一の死因だと検事は記者会見で発言していて、これは誘拐者の犯行だとされていた初段階での推定に信憑性を与えものとなっているといっている。一方、ドゥルリー氏の死因は不明瞭なものがあるが、(銃による)傷口は直接の死因ではなく火災による焼死だということらしい。

検事はフランスの特殊部隊による強襲時には直接の弾丸の被害はうけてないと記者会見でいっている。口径3.0の弾(仏軍隊の銃)がドゥルリー氏の尻部から見つかったがこれは弾丸の跳ね返ったものだという。その時点で既に死んでいたかもしくは断末魔にあったと検事はみている。また検事はこの銃を過激派イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ(AQMI)が持っていたかもしれないともいっている。

しかし、焼死が死因だとして、それで断末魔を迎えつつある人間に流れ弾があたるほど射撃していたのかという疑問がこの検事の発表からは残ることも問題ではないか?そして、一番の疑問はどうしてサルコジ大統領が特殊部隊の急襲を指令したのかということである。フランス軍隊の特殊部隊が誘拐者を3機のヘリコプターで空から追跡すれば人質の身柄はさらなる危険に晒されることぐらいは軍隊を指揮する者なら知っていたはずである。

2月3日の検事の発表は、アラン・ジュッペ国防相が当初発表していたアルカーイダ(AQMI)犯行説とは異なる結果となっていた。もっとも、ジュッペ氏はフランス軍特殊部隊が「(ニジェールの)警察を数多く殺害した」ことを事件の少しあとでは認めていた。

中東の衛星テレビ局アルジャジーラを使ったAQMIからの犯行声明でも仏人の一人は殺害したがもう一人はフランス軍が殺害したと発表していた。今回の発表と一部は照合するかたちとなっている。

バンサン・ドゥロリー氏の家族は「焼死が原因だとしてその火災はどうして起きたのか」と疑問を提起している。真実の死因を解明していきたいと裁判に臨む姿勢でいる。

仏軍総司令官でもあるサルコジ大統領は1月8日夜、訪問先のマルチニックからテロリスト撲滅の戦いを続けるとし卑怯で残忍なテロとの戦いだとしてニジェールで誘拐された2人のフランス人の釈放を特殊部隊に指令OKの承認を発した。

フランス軍隊の急襲の理由として当時に発表されたのは、もしも誘拐者がニジェール国境を越えてマリの本拠地に逃げ込んでしまうと、そこでのフランス人捕虜の虐待が心配されるからだと主張されていた。

同8日、誘拐者を4000メートルの上空から仏軍隊アトランティク-2偵察機がニジェールを逃走中のジープ3台を探知した。マリ国境を越えて逃げる犯人を追ったがフランス人の青年2人を解放できなかったとだけ報告された。事件の当初から2人の誘拐された青年の死の帰結は予見できたものであるとしてジュッペ防衛相やサルコジ大統領の性急な特殊部隊派遣の判断が軽率であったとする指摘が大きくなって、特に野党議員や死亡したアントワンヌ・レオクール氏の学友6人からは国防相らは辞任すべきだとの抗議文が提出されていた。