2011年4月28日木曜日

【動画】:仏郊外青年暴動の「少年感電死事件」は不起訴判決 警察集団追跡の新たな訴えへ

2005年のフランス全土を1ヶ月にわたり震撼させた郊外青年暴動の発火点となったのは2005年10月27日の2人の少年が警察に追跡されて変電所に逃げ込み感電死したパリ北郊外のクリシー・スー・ボワの事件だ。2011年4月27日、その裁判で2人の警察がパリ大審院裁判所で不起訴になったが、遺族側弁護士は事件には2人だけの追跡ではなく15人ほどの警察も集団で関与しているとして、ボビニー裁判所の前で記者会見して訴えた。新たな闘いが開始された。
この日、ブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)はサッカーの練習の後で警察に追われ変電所に飛び込んで感電死した。2人の少年の死は今ではクリシー・スー・ボワの移民の町の青年たちはこの町には何も誇れるものがないがとしながらも、2人は記念碑的なページを残したと讃えている。彼等の記憶から今も消えない。今では7年も前のことでサルコジ大統領が内務大臣として指揮を執った事件でもありフランスの歴史にも残りそうだ。

遺族側の訴えは2人の警察は現場にいながら危険を前にしてその救済義務を怠ったというのが起訴理由だった。しかし裁判判決は警察側の危険なものを感じなかったという主張を受け入れた。

遺族側のミニャー弁護士は変電所の周囲には侵入禁止の危険を示した看板がいくつもあるのを警察は知らないはずが無かったといっている。夜ではなく昼間に2人の少年は変電所へのコンクリートの壁を越えた。この行為を当時の警察が本署へ通報している記録もある。危険を前にした人を見ながら救済義務があるのを怠ったと弁護士は指摘している。

2011年4月27日の夜20時のフランス国営放送・テレビA2もこの警官不起訴のニュースをとりあげた。しかし気になるのはこの少年たちの感電死事件が夜であるかのような印象を視聴者に持たせる報道をA2はしていたように思える。変電所周辺にいくつもあった進入禁止の看板を警察が気づかないのが当然であるかのような、深夜での機動隊のヘルメットがライトで光り視界が閉ざされた映像が流されたからである。何もしてないはずの2人の少年は郊外暴動が荒れ狂う取り締まり強化の中で警察たちに追われて昼の明るい時に変電所の壁を越えて侵入したのであった。

テレビA2のニュースには再放送があって20時のニュースが終了する頃の20時30分から国営TV5・ルモンドで始まる。27日のそれは、20時のニュースとは異なり夜間の機動隊の展開する町の映像の部分はカットされて放映されなかった。TV5・ルモンドでのA2の再放送はしばしばニュースが全部または部分的に映像などがカットされることがあるようだ。

ミニャー弁護士は危険な状況にある者への救済義務を怠った犯罪が閉ざされたのならば、我々は別の扉をひらくことになるだろうと話した。つまり、15人もの警察がこぞって2人の少年を追跡しているのは日中であって変電所の危険を知らせる看板を見ないわけが無いというわけだ。それが警察は何の罪も受けていない。弁護士によれば政府寄りの検事ではなく独立した検事が必要だとしている。

警察が少年たちを怖がらせ、少年たちを感電死の恐れのある危険な変電所近くで、集団で包囲しながら追跡を続けたのはどうなのか?とミニャー弁護士は続けて話した。

「パリジィアン・今日のフランス fr.」によるとクリシー・スー・ボワ市長のクロード・ディラン氏は判決は残念だが市民はそれを超える安定した精神があると悠然と答えたようである。