ベルルスコーニ首相はサルコジ大統領と共に記者会見して「フランスはイタリアの5倍の5万人ほどの移民を毎年受け入れてきた」とその努力を評価して見せた。
一方、チュニジア移民のフランスへの流入に批判的な立場をとっているクロード・ゲアン仏内務大臣(前大統領官邸書記総監)は、毎年の正式な移民受け入れ数を2万人から1万8千人に減らそうと提言していた。ベルルスコーニのいうフランスが毎年5万人の移民を受け入れてきたという数字はどこからきたのかはよくわからない。
4月17日のフランス政府によるチュニジア移民の乗る列車が国境で停止させられた事件でイタリア側はチュニジアからの移民を2万人もこの1月から抱えて、どうして自分の所だけが移民を受け入れなければならないのかと怒っていた。封鎖では4000人の半数のチュニジアを拒絶し返したことで怒っていたベルルスコーニは今日は態度が変わっていた。
ベルルスコーニはいち早くチュニジア移民に6ヶ月友好の滞在許可証(パスポート)を発行して他のヨーロッパ諸国へいってもらおうとしていた。
このイタリアの処置はシュンゲン協定に沿った合法的なものであったが、フランスは移民が押し寄せる標的になると不満であったために今回26日の会談が持たれたものだ。
フランスとイタリアはこの問題は欧州メンバーにかかわることだとして欧州議会(EU)と欧州審議会に対し両国内での移民統制を一時的に執行することの可能性を打診するとしている。
シェンゲンは1985年6月14日独仏国境のシェンゲン調印の欧州加盟国域内での人と物の自由な移動を認めた欧州の基本思想の柱の一つ。
(参考記事)