22日にボルドー裁判所で開廷された前仏大統領サルコジ氏への質疑は16時間にわたるものでその内容の一部がボルドー地方紙「西南新聞」に掲載された。サルコジ氏はベッタンクールとは一度だけしかシシリア夫人と共に会ってないといっていたが、すくなくとも2度は会っていて前言が嘘であったことがわかった。
1)ベッタンクール氏の家族との15年に及ぶ関係では一銭も金を受け取ってないとサルコジ氏は宣言した。前妻のセシリア氏とベッタンクール邸を訪問した時には10人ほどがそこにいた。サルコジ氏はベッタンクール邸宅を訪問していることを証言した。
2)2007年11月に亡くなったアンドレ・ベッタンクール氏 (化粧品のロレアル前社長)とは2007年2月24日に会っている。この時期はサルコジ氏は2007年の大統領選挙の直前であった。大統領選挙で勝利した後にはアンドレ氏に賞賛の手紙をサルコジ氏は送っている。そこにはアンドレ氏への返礼がしたためられいる。
3)2008年11月5日にベッタンクール氏の婦人リリアンさんに会ってないか?との質問には、それは仏共和国の大統領として会っているならば最高裁に引き出されるだろうが、そうでないならリリアンさんの求めたによるものでエリゼ大統領官邸に彼女を迎えることは避難されはしないと答えた。会合の性格が公私はともかくとしてサルコジ氏は1度だけ会ったことがあると宣言していたが、これは嘘で2度会っていたことがわかった。サルコジ氏はフランス第14位の大富豪ベッタンクール家族が住むパリ西に隣接するヌゥイー市の市長時代からの付き合いでサルコジ氏の国民運動連合 (UMP)党への最大の献金者でもあった。
4)リリアンさんの言っていたサルコジ氏に対する発言「これからもあなたをこれまでと同様に支持し援助します。あなたの大統領選挙の勝利を祈ります」に関しては、エリゼ大統領官邸でそのような話をする彼女の記憶が誤りだとして前大統領サルコジ氏は否定している。サルコジ氏はこの時に15分ほど彼女と話した。彼女は娘との間に起こった家庭 (遺産)問題で助言を求めて大統領官邸に来たので他のことで来たのではないのだと話している。同新聞は、サルコジ氏はリリアンさんが健忘症とかドモッタ話ししかできず補助者が会話に必要であったことは話してないと指摘している。
5)2007年の大統領選挙運動資金に関しては、アンドレ・ベッタンクール氏とはこのことでサルコジ氏は会見の約束をしたことはないと述べた。2007年の仏大統領選挙の金庫番であったエリック・ブルト氏は国民運動連合 (UMP)最大の財政援助者であったベッタンクールとその管財人パトリック・ド・マイストル氏に関してサルコジ氏に話すことは無かったと証言した。
6)5万ユーロ (約5億円)がベッタンクール氏の元会計士クレール・チブーさんによって仏大統領選挙のあった2007年初頭にパリの銀行から引き出された。彼女によればこの金をブルト氏に渡すために管財人ド・マイストル氏から15万ユーロ (約15億円)を頼まれたのだと証言している。銀行からの金の引き出しはチブーさんが担当していたからだという。銀行からは一度に5億円しか引き出しができなかったのでその金額をド・マイストルへ渡したのだとチブーさんは証言している。
サルコジ氏は、自分はド・マイストル氏とその時期に会ったことはないし自分の金庫番が会ったので、自分は知らないと証言し金庫番も不正な金を受け取ってないと言っている。それが自分と何の関係があるのか?と答えている。
サルコジ氏は、自分はド・マイストル氏とその時期に会ったことはないし自分の金庫番が会ったので、自分は知らないと証言し金庫番も不正な金を受け取ってないと言っている。それが自分と何の関係があるのか?と答えている。
7)写真家でリリアンさんの親しい友人のフランソワ・マリ・バニエ氏の事件当時のノートにはリリアンさんがサルコジ氏から金を要求されている状況が描かれた記述がある。「ド・マイストルはまたサルコジから金を要求された。わたしはいいよと返事した」というものだ。
(つづく)