23日に過激派イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ(Aqmi)に誘拐されていたスペイン人ロック・パキュアル氏とアルベルト・ビラルタ氏が解放された。2人はマリで人道支援活動をしていたが2009年11月からAqmiに誘拐されていた。8月16日、Aqmiから生命の保証はするとの情報があった。スペイン政府の態度はAqmiによると彼らの要求を満足させるものでこれが2人の釈放につながったと評価された。一方、Aqmiはニジェールで人道支援活動に携わっていて4月19日に誘拐されたフランス人ミッシェル・ジェルマノー氏(78)が殺害された事件に関し、「同氏の死は避けられたのだ」と発言した。フランス秘密情報局がスペイン政府のように対応しなかったからだと発言し、今後のフランス政府の教訓とすることを示唆している。(本文の初出 /2010年8月26日 )
中東の衛星テレビ局アルジャジーラがジェルマノー氏の死を報道したあとで、フランスは直ぐに判断できずにサルコジ大統領は7月25日になってから閣議の後で結局は同報道を根拠にしてジェルマノー氏の死を宣言した。そのことに関して、エルベ・モラン国防大臣はフランスはジェルマノー氏の死を証明する判断の根拠をアルジャジーラの報道の他に持ち合わせていなかったとフランス国営放送・テレビA2に出演して答えている。
フランス側はジェルマノー氏を救助するのにモーリタニア軍と一緒にAqmi殲滅作戦に参加したのだといっている。しかしモーリタニア外交筋では当時、誤解をさけるためにかモーリタニア軍のサハラでのAqmi殲滅作戦はジェルマノー氏の救済を目的にしたものではないときっぱりと発表していた。またモーリタニア政府側からはフランス軍隊はこの作戦には1人も参加してないと発表されていた。しかしモーリタニアの外交筋ではフランスがこの作戦行動に電子部門での技術協力があったということは認めていた。しかしフランス側の報道ではフランス軍隊が直接にモーリタニア軍隊に参戦していたとされている。
今回のスペイン人2人の釈放を推進した仲介役によると過激派イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ(AQMI)はジェルマノー氏の解放に際しては何の介入もしていなかったといっている。当時、ベルナール・クシュネル仏外務大臣はこの疑問に関し答え、それは「Aqmiからの正式な人質交渉の要求がなかったからだ」と答えていた。24日、ニコラ・サルコジ大統領の中心的協力者であるゲラン大統領官邸書記総監は「ジェルマノー氏の解放に関して我々はAqmi側とコンタクトするいかなる可能性もなかった」とフランス通信(AFP)に答えている。
このことはフランス政府がジェルマノー氏の釈放交渉に関して、アルカイダ(Aqmi)側のいかなる要求にも“ 全然 ”応じなかったし交渉もしなかったという再宣言となってみえる。が、中身が別のものになっている。つまり交渉に応じられなかったにせよ、応じようとしなかったにせよそういえるということになるからだ。しかし意味の中身の真実はいずれか一方ではなかったのか。そのことを過激派イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ(Aqmi)はスペイン政府とフランス政府との人質解放への対応の仕方を対比していて、今回のフランス政府を教訓する報道となったのだとみるべきではないか?
スペイン政府は今回の2人の釈放に700万ユーロ支払って、Aqmi側のマリ人オマーシディ・アメッド・ウルド氏が23日に釈放されてマリに帰っている。(本文の初出 /2010年8月26日 )
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