2015年5月12日火曜日

■idéeナチス・ドイツのヒットラーの使用したコワ・ガメ卍はどこからきたのか?現世世界の人間軽視思想の源泉

Le Monde Secret Des Croix, par Christiama NIMOSUS, Editions des la Maisnie, 1990. という本は宗教関係者が書いたものではないということで、ここで取り上げましたが、私の考えの観点から述べてみます。セルティックな起源のこととも関係するのですが、ストーンヘンジとかの円環状の遺跡などでは、セルトの十字と同じように三重になっている。ばストーンヘンジというのも単なる石を円環状に配置したものではなくて、その内側に更に二重の合計三つの輪ができているわけです。セルトあるいはケルトの十字はこの三重の輪の内側に十字を配ししかもその十字の四方がそれぞれ三つの輪を突き抜けて外に向かって飛び出しているというものです。そこでこの前掲書の37頁あたりにですが、ギルランドの話が書かれている。これは太陽の光が蘇って来て力を持つクリスマスのころにヤドリギの枝を取ってきて円環状に束ねてキリスト教徒の家では、入り口の前に飾るのです。が、実はこれはキリスト教起源の伝統ではなくて、キリスト教が嫌い根たがやしにした太陽崇拝の春祭りであるパイヤンのデュルィディズム(druidisme)の名残りがキリスト教徒のクリスマスになったわけです。まあ、著者はそこまでは言ってはいないのですが、みんな知っていることなので、一応そういうことです。そこにケルトの十字が出てくる。

そこでのシンボル性は○の空間の限定化に対し、+の無限定化の表現であり、これらは対照的なのです。○と+の発生起源についてはわかりません。しかしこの本の41頁前後では、右巻き卐(le sauvastika)と、ヒットラーの卍(le savastika)は左巻きでこれがla croix gamméeと呼ばれるもので、その違いを説明している。+字からナチス・ヒトラーのla croix gammé卍へといくの変遷過程を図で明しています。そしてこの本の面白いところは、ダライラマのチベット仏教と一般にいっているが、これは仏教ではないと私が考えていることを少しだけですが証明してくれている。つまり、チベット教の死者の書にこのヒトラーのle savastika卍が現れていると書いてあることです。ヒットラーの卍(le savastika)とは向きが反対の右巻き卐にバスク十字(La croix basque)がある。
これは特にフランスとスペインにまたがる高地ピレネー山系に住む、羊を飼っているバスク人の家の前に描かれているというのです。どうも私の知識ではこのバスク言語がアジアから遭難した船乗りたちに起源があるというようなことをどこかでむかし読んだように記憶しているのです。エスペレッタの唐辛子とバスクのヤギチーズ、そしてバスク十字(La croix basque)を訪ねる現地調査が必要な心持ちにもなてきました。ここで私の好きなバスクの羊(brebis)のチーズやバイヨンヌ地方のジャンボン(半乾燥ハム)を思い出したので、写真を掲載しておきます。
たしかにここに卐表現が右回りでバスク十字(La croix basque)として描かれているのです。こういうことからチベット仏教が釈尊の仏教を否定して、この世とは異なった場所に住む阿弥陀仏や大日・薬師如来のいる他土本願を立てる教えとは、つまり釈尊の正しい教えを結局は使いながらも、その教えに背きそれを破壊することになっている。
これとナチス・ドイツが使用したチベット伝来の左巻きの卍(le savastika)とが関係がありそうに思えるわけです。「死んで天国で会いましょう」とかいうキリスト教徒がナチスに負けたのは、このチベット密教信徒が阿弥陀仏の来世を願ったり、大日・薬師如来のいる他土成仏を願って平気で焼身自殺さえすることと無関係ではなく、日常において現実世界を軽視する風潮がキリスト教にあったことと無関係ではなさそうだ。だからインド伝来のチベットの卍はドイツの卍と関係がありそうなのである。そこでは現世の生命の尊厳が否定されても当然とする思想があるからだ。