2015年10月14日水曜日

「パブロ・ピカソ」か「藤田嗣治」か 戦争ファシズム批判の画家

「朝鮮動乱を描いたパブロ・ピカソの絵」(ピカソ美術館)
11月に「FOUJITA(フジタ)」という映画が上映されるらしい。http://www.nhk.or.jp/catchsekai/marugoto/2015/10/1005.html  藤田嗣治は軍閥の家族達の後建てによって軍の美術協会長になったので、別に絵がうまいわけでもなかった。芸術家というのはあるいは思想家というのは反権力でなければいいものができないのは不思議だが真理である。フランスのシャンパーニュ地方のランスにある礼拝同の壁画も大したものではないと思う。従軍画家とは戦争のプロパガンダであり、これを否定することとなると、藤田の家族の軍閥全部を否定することになるだろう。戦時とはそういうことなのだ。彼の場合には。同時代人のパブロ・ピカソと比較するまでもないが、反戦とか社会の悲惨や不平等に対する犠牲者である民衆への暖かい眼差しを感じる絵があるのだろうか。今、パリのグランパレでは、「ピカソ・マニア」展が開催中だが、キュビズムの最初の作品「アヴィニョンの娘たち」も、 残念ながら反フランコ将軍のファシズムを批判した「ゲルニカ」も来ていない。(パリ=飛田正夫 2015/10/14 1:49日本標準時)
この「ゲルニカ」の絵はパリのサンミッシェル広場に近いグランドオーギュスタン通りの屋根裏で描かれた。そこが修復されて訪問ができるようになったが私はまだいってない。


「朝鮮動乱を描いたパブロ・ピカソの絵」を、建物や展示のコンセプションが変わってから開館されて間もないマレ地区にあるピカソ美術館(サレ館)を訪ねた。その時の写真を掲載した。当日、この絵の前にはたくさんの人が、遠い国の不思議な情景をじっと長時間にわたり見入っていたのを記憶している。


この絵は、独裁者によって命令されたのか顔のない兵隊たちの銃剣が婦女子の前に立ちはだかって描かれている。崖の下には遠く蛇行して河が流れていて、その左側には恐怖に逃げ惑う子供と悲嘆にくれる殺戮前の妊娠した婦人らが描かれている。子供を抱きしめる母親の手が顔が凄い。こんな迫力のある絵を、藤田は反戦画家として描いたとは思われない。描く立ち位置が違っているのである。


ピカソの100分の1も描いてはいないと思う。それどころか従軍画家などはそれで食べ生活をしているのだから反戦の意識もなく戦争を憎むことをしないだろう。そういう人間性もないところにはピカソのような絵は描けないのである。藤田が国家の従軍画家として、犠牲者たちの苦しみや悲惨をどのようにして描けるというのか?私には理解できない。反戦思想の無い藤田などを使った戦争賛歌の映画になっていないことを希望して、日本で映画を見る方にも、藤田と同時代に生きたピカソの反戦の絵と比較されて、批判的に見られて欲しいものである。


【参考記事】http://www.nhk.or.jp/catchsekai/marugoto/2015/10/1005.html