2015年10月14日水曜日

池田大作氏の創価大学での最初で最後の「講座」  2003年3月10日「第一回特別文化講座」

創価大学での第一回特別文化講座で池田大作氏が講演している。どこかで会ったような学生たちが聴衆だ。階段教室に集まった学生の前には「創立者池田大作先生 特別文化講座」と書かれた大きな横断幕が掲げられた。その前で講演する池田氏へ熱い眼差しが向けられ体を前に傾斜させて忠誠の姿を示して聞く女学生も多く見られる。世間では考えられないことだが、この批判精神の枯渇した姿は、そしてゲーテを引用しながら政治世界への忠誠心を正当視する池田大作の解説が何の疑いも批判も持たれずに学生たちに植え付けられていく創価大学ではごく普通なのであろう。学生たちは池田先生の話しを真剣に聞くというよりも体で受け止め血肉にしようとしている。池田はこの創価大学での講座を「記念の講演」だと言って、「このたびは御卒業おめでとうございます」と言った。その池田の言葉に対し学生たちは、「ありがとうございます」と大きな声でいいながら全員がそろって申し合わせたようにお辞儀する姿は、なんとなく北朝鮮のマス・ゲームを拝見する思いでもある。それも学生たちは椅子に座っていながら、ほぼ全員が45度の会釈を池田に向かってしている。会釈が悪いのではない。この阿吽の呼吸を見るにつけ、池田への忠誠を示す恭順を顕している不思議さなのだ。キビキビとした声で、「ハイ」とか学生は池田に何度も返事を返している。
学問をする志は社会正義のために闘うことではなくて、池田にあっては金を稼ぎ両親を喜ばせることになっている。ここでは2,3人が「ハイ」と応えている声が聞こえている。 池田にあってはそれが創価大学の教育方針らしいのである。

学生の中には、「私は、ゲーテは嫌いなのですが」という学生もなく、また、「池田先生の方が好きです」とか、「ゲーテよりも池田先生よりも、日蓮大聖人が好きなのですが」などと述べる学生は一人も見られなかった。みな一様の池田大作の分身体のコピーのようであり、そこに全体主義の独裁者の姿は感じても、一個の思考できる個人や。誤れる社会や権力を批判できる頭脳の存在は感じなかった。池田は、「書かなくちゃいけない」「読まなくちゃいけない」と話すと、会場から1人が「ハイ」と答えた。少しだけ遅れて、何人かが「ハイ」と声を上げているのが聞こえてきた。彼らはそれを感じているらしい。池田は「もう、青春時代はそれが特権です」と話す。聞いている側の学生が映像に移る。「ハイ」と言って頸を立てに動かす者もいたが、反応がなかった学生もいた。

続けて池田は「こっから本番なんです」と語る。「思想家、ヘルダーとの出会い」を強調して、「思想家、ヘルダー」と繰り返す。池田はここで本心は自分との出会いが一番大事なのだとはさすがに言えずに続けて、「だれかと出会う」「出会えない人間は、これは不幸です」「いい先輩、いい友情、いい先生、これで人生は決まっちゃう」と手を左右に振りながら話してゆく。学生達の表情は険しくなり、なんとなく不安そうだ。ここが創価学会員の弱さであり、池田が彼らの肝を握っているところだ。人心掌握術でありセクトが精神の弱い人々を操る常套手段でもある。一種の「魔術」である。彼れらには不幸にもそれがわからない。

池田は、ゲーテは、ヘルダーという厳しい先輩に就いて行き、その厳しさ、通絶さにも喜んでついて行ったと言っている。そして「ここが本当の師弟であり友情なんだ」と主張する。池田はこの時に、読んでいた原稿から目を離し、メガネを左手で外し、右手をマイクの前で振りながら、「本当に、俺を訓練してくれ」「ねぇ、こう、ゲーテは自分で望んで厳しい先輩についた」「一人では、ねぇ、勝てないんですよ」 「成長できないんです」と言い切っている。この辺に池田独特の考え方があるようだ。池田は、続けて「だから学校があるのです」と大学の存在意義に及んだ。大学とは先輩に出会い鍛えられる場と見ているようだ。

池田は、詩人ゲーテを特別な存在だと見ていて政治・経済などのあらゆる分野をこなす人物としている。次第に気が付いてきたのだが、池田は自分が桂冠詩人であるとか言っていたような記憶がある。この点は、池田のヴィクトル・ユゴーを恋慕した石碑が、パリ西郊外のビエーブルのヴィクトル・ユゴー記念館の庭にあり、ユゴーの詩を原文を改竄して都合のよい文にして彫ってあるので、そのような人が桂冠詩人であるとは思えないのである。

池田は盛んに偉大な人間、偉大な人間をつくることなんだという。しかし、どうもこれは戸田城聖と池田大作との関係を、ヘルダーとゲーテの関係に例えているとか言いようのないものだ。創価大学の学生ならそれがわかるだろう。そしてその師弟の関係は池田大作と創価大学の学生との関係にも移し替えて受け取れるということだ。そうすると池田大作とは偉大な人物に作られたヘルダーであり、君たち偉大なゲーテを作るヘルダーにも否が応でもなってくるのである。この論法はトリックそのものであるが、魔術に酔って自我を熔かされている学生たちにはそれがわからないのである。

自分らは若きゲーテなのだと思い込まされているだけなのだが。池田はヘルダーでも一流の文学者でも何でもないのである。このように一流の人間を夢想する青年たちが、教育されていることを悲しく思う。大学は、若者が自己を失うために行くところではない。大学は、池田の如き洗脳者を師とするための出会いの場所では勿論ないのである。

このYou Tubeの画面https://www.youtube.com/watch?v=TlmmBKa79C4からは、出席した学生は「第1回の講座」のあった年月日を覚えているだろうが、You Tube視聴者にはいつの講演だかはわからない。You Tubeへの投稿日は2014年12月12日となっている。それよりも以前であることだけは確かだ。創価大学付属図書館のホームページ『今日の一書 : 2010年9月23日(木)』http://lib.soka.ac.jp/todayBook/20100923.htmlの掲示を見ると、「2003年3月10日に行われた『第一回特別文化講座』」と書かれてある。

つまり「2003年3月10日」の講演が「2014年12月12日」に掲載されたということだ。もう12年近い以前の講演ということになる。どうして今頃になって、You Tubeに誰が載せたのかも疑問である。そしてこの池田氏の特別文化講座の第2回目の「講座」は聖教新聞掲載で「寄稿」という型になっていて、創価大学には池田氏は来ての「講座」は行われていないようなのだ。その後の池田大作先生の「文化講座」がどうなってしまったのかはわからな。 

その後の池田の講座が創価大学で開催されたというサイトは見つからなかった。創価大学付属図書館のサイトには「2005年3月16日から3回にわたって、聖教新聞紙上に掲載された『第二回特別文化講座』「革命作家・魯迅先生を語る」とあったが、これももう10年前の話しである。いったい何度ほど「特別文化講座」なるものが存在したのか聖教新聞を保存されている方は、その日付けの前後を見てほしいものである。どうもこの創価大学での「第一回特別文化講座」というのが、池田大作氏の創価大学での最初で最後の「講座」であったのではないかと思うのである。

【参考記事】

池田大作 創価大学で第1回特別文化講座

https://www.youtube.com/watch?v=TlmmBKa79C4
http://lib.soka.ac.jp/todayBook/2015/20151002.html