2010年12月27日月曜日

コートジボワールのバグボ前大統領  米仏の陰謀だと批判

コートジボワールのロラン・バグボ前大統領は大統領選挙での陰謀だとしてフランスとアメリカを特に指して26日のフィガロ紙でのインタビューで批判した。バクボ氏は米仏が独立選管委員長であったユソフ・バカヨコ氏をバクボ氏の対戦候補であった共和連合(RDR)のアラサン・ワタラ元首相(68)の選挙本部のあるゴルフ・ホテルに連れて行って選挙勝利の宣言をさせたのだと主張している。その時には選挙発表の期限が切れていたために、国家憲法審議会では大統領選挙の無効を宣言していた。














すでに25日には、バクボ大統領のスポークスマンはフランスが国際社会を統制してコートジボワールへの陰謀を指摘する談話を述べている。

サルコジ大統領はロラン・バグボ前大統領のコートジボワールからの追い出しを宣言したのが、17日の欧州議会であった。この会議の議題とは無関係なのだが「バグボはコートジボワールの民意に反している」として 「バグボ退陣要求」を先頭を切って宣言した。

国連の人権審議会が特別緊急総会をジュネーブで開催したが、北アフリカ諸国のまとまりが取れず具体的なバグボ制裁措置は決まらなかった。

その後、西アフリカ諸国経済共同体(CEDEAO)(フランスの旧植民地を中心にした西アフリカ15カ国)はバグボへの武力行使を辞さない宣言をして退陣を迫っている。こうした一連の流れにロラン・バグボ前大統領はアメリカとフランスの陰謀の影があると批判した。

コートジボワールの大統領選挙の決勝戦はバグボ氏とワタラ氏がそれぞれ49.5%と54.1%と発表されたがその発表は期限が切れてからなされたとして、バクボ氏は同氏寄りのポウル・ヤオンドレ国家憲法審議会議長に選挙開票の無効を2日発表させ自らの大統領当選を宣言した。このために2人の大統領が存在することになり国内は市民戦争の危険が高まっている。


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2011年4月3日日曜日


仏軍増強派兵 コートジボワールの仏・外国人避難撤退は内乱の前兆

2日から3日にかけて国連軍統制指揮下のコートジボワールの首都アビジャンに向けてフランス軍約300人以上をフェリックス飛行場に派兵。首都からの避難撤退などあらゆる状況の変化を考慮して外国人の安全対応のために補充兵が送られたとブルクハンド陸軍大佐は発表。1日にサルコジ大統領、フィヨン首相、ジュッペ外相、ランゲ国防相と会合して決めたらしい。同大佐によるとフランス軍隊の増兵に関してはサルコジ大統領(将軍)は何の公式声明も出してないと答えている。

「リベラシオン紙fr.」などによると4月3日正午近くコートジボワールに滞在する外国人1650人(内半数がフランス人)、50人のヨーロッパ人、米国人4人、レバノン人がフランス軍隊キャンプに集合された。

13時05分、ロラン・バグボ前大統領の支配するコートジボワール政府テレビではルワンダの大虐殺はサルコジ派によってコートジボワールで準備されたとするショッキングな文字がコートジボワールの人々の街頭デモの横断幕に書かれて報道されたという。

コートジボワール大統領選挙ではフランスは早い時期から共和連合のアラサン・ワタラ(Alassane Ouattara)元首相を支持する強力な発言をしていて、対抗者のローラン・バグボ大統領と戦う姿勢を現在も崩してはいない。

1月2日、コートジボワールの大統領選挙で独立選管委員会(CEI)はアラサン・ワタラ元首相の勝利を公式発表した。憲法審議会よりのポウル・ヤオンドレ議長はCEIの当選発表が遅れたとして期限切れを言い訳にロラン・バグボ前大統領の当選を決めた。以来両者は大統領選挙の勝利を主張しあって対立してきている。

現在コートジボワールにはフランス人は12200人がいる。そのうちの11800人が首都にいる。なお二重国籍者は7300人いる。

フランス政府の早急な避難退去命令に躊躇する人々も多いようだ。セネガルやトーゴなど首都からの退去を目的にしていて場合によってはフランスへの帰還もあり得るという。内乱が予定されているからだとも一応は考えられ今後の動向によっては戦乱が引き起こされる可能性が心配される。