2011年1月24日月曜日

【コラム】 フランスなどの西欧人権思想の限界に挑戦、「チュニジア革命」に期待

1月20日の仏国営放送テレビA2は中国の胡錦濤総国家主席の米国訪問に関しオバマ大統領を前に、「中国はさらなる人権擁護の努力をする」との同主席の19日の発言を大々的に報道した。そして中国の代表的新聞である人民日報やテレビではこの宣言は報道されてないとしている。同テレビA2はフランスのルノー自動車産業スパイ事件でも中国を捕らえていち早く過剰な批判をしている。21日にはルノー社からスパイ容疑で証拠もないのを告訴されたとして3人のルノー幹部が抗議している。このスパイ容疑には中国も反発している。


法螺(ほら)の世界では

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らは、暴露される前なら好きなように吹き鳴らしてよいものか?

ルノー社はフランス国が15%の株をもっているわけだから状況は厄介だ。1月14日にチュニジアのジン・アビディン・ベンアリ大統領が亡命を計った。独裁者ベンアリを批判して革命が起こった。しかしその前夜にはフランスのミッシェル・アイオマリ外務大臣(前内相、元防衛相、MAM)はフランス議会で発言しこの独裁者を支持した。「チュニジア警察に暴動を取り締まるフランスの手腕技術を伝授して、世界に知らしめる・・・」と発言していた。大変な独裁者ベンアリ支持の驚くべき非人権的な発言であって同外務大臣に多くの批判が現在なされている。
アラン・ジュッペ防衛相(元首相で、ボルドー市長)は「チュニジアの民衆の貧窮の現状を正しく認識できていなかったのは確かだ」と反省の言葉を提出した。

カナール・アンシュネの報道などによると在チュニジアのフランス大使はチュニジアの政変に無関心であって、フランス外務省側も大統領官邸エリゼ宮殿も余り関知してなかったことがわかる。チュニジアのベンアリ独裁政権を受け入れていてその独裁政権の性格を疑問視してなかったということである。

チュニジアやアフリカのフランス旧植民地には仏企業が進出していて、その国の政体が民主主義であるかどうかはあまり考慮されてないようだ。そのことが普遍的な人権を唱えている筈のフランスではなくなっているとして多くの識者が疑問視し始めている。

これはフランスが7月末に始まるグルノーブルでのサルコジ大統領の肝いり宣言を発端として大きな事件に発展したロマ人や旅の人々(les gens de voyages )をフランスから排除する人種差別が特化された県知事指令が発覚して人権擁護団体や欧州議会から批判された。フランス人の人心の不安と荒廃はますます酷くなっているようだ。それを指導する国のトップの思想的道徳的な貧困性が問題になっているわけだ。

西欧のヒーマニズムが堕落して久しいがそれがあらゆる次元で表面化してきているといえる。その意味で、誠実さや嘘をいわないとか、他への博愛といった基本的な徳目の単なる押し付けや口先の宣言では解決できない時代に入っていることがわかる。

チュニジア革命で現地を訪問したA2のインタビューで、チュニジアの人権擁護団体の女性に「ベンアリ大統領の取り巻きが政権に入っているが」との質問に答えて、「経験者がいないのでしょうがない」と答えていた。

しかしその後20日ごろからはベンアリの息のかかった大臣の解任を迫る民衆の動きが出てきた。そしてベンアリ寄りの新大統領をも解任要求する高まりが起こっている。先のA2のインタビューに出演した女性がどうしてカメラの前に立ったのか?その辺の事情はわからないが、「しょうがない」とする意見こそが、これまでのフランスの人権思想の根底にあり不平等や人種差別の現状維持を黙認させようとするものであった。これを否定して乗り越えているチュニジアの人々は凄い。

まだ不安定な革命ではあるがそれを支える多くの内外のチュニジア人が革命を横取りされ盗まれまいと活躍しているのを見るとつい涙がこみ上げてくる。

話はもどるが、中国やイランやロシアやリビアや北朝鮮などがフランスから人権が劣っているとしてしばしば批判されてきた。が、これが自国のことにも当てはまる事実が存在したことがわかってきたわけだ。このフランスの人権外交が破綻したというのはそういうことだ。

今回のニジェール仏人殺害事件とチュニジア革命でのフランス政治の対応であった。人権思想の掛け声を外国戦略に用いることこそが誤った人権の認識なのである。人権擁護の思想は見せかけてあって、そのかけらさえも無かったことが露見されてきているわけである。が、必要なのはこの問題を解決することである。

フランスの高名なジャーナリストのアラン・デュアメール氏の見解を紹介すると、今一番フランス人が関心を持っているのはニジェールの殺人問題、チュニジア革命、そしてコートジボワールであるといっている。全部これらに共通しているのは、一言で言えばフランスの現政府が関係した旧植民地への外交問題が破綻したことを象徴している事件だということだ。

しかしそれは世界の人々のモデルであるヨーロッパの人権思想の限界のことでもある。これを乗り越えなければならない。すでにチュニジアはその意味でフランスなどよりスタートは遅れたが、ヨーロッパの荒廃した限界的な人権思想を乗り越えて、新境地を開き行く可能性をもっていると期待したい。