2011年3月20日日曜日

サルコジ主張の軍事介入 「カダフィ空爆」の国連(ONU)決定までの経過

3月20日の「パリジィアン紙fr.」ではサルコジ大統領がリビアのカダフィ大佐への空爆を指令した19日に反リビア政府蜂起軍の戦闘機が撃墜された映像を紹介している。一方、フランス空軍はカダフィ軍の装甲車をベンガジ近くで爆撃したといっている。リビアでの暴動が開始されてから、フランスのサルコジ大統領がカダフィ空爆を提言して、国連(ONU)で決定するまでの経過は以下のようになる。


2月15日~ ベンガジなどの町でリビアのカダフィ政府に抗議する蜂起民衆が鎮圧される。

20日~ アル・バイダやベンガジで多量の殺害(証言)。カダフィは最終決戦を決意。

23日~ トブルックやベンガジの町は蜂起民衆が占拠し、フランスのテコ入れで「反リビア政府臨時国家審議会」を組織化する活動が展開(カダフィの息子セイフ・アル-イスラムの証言)

28日  ONU国連と米国が欧州のカダフィ体制制裁に続く


3月 3日   国際犯罪裁判所(C P I )がカダフィ一派にたいする人権侵害を調査

5日   「反リビア政府臨時国家審議会」はリビアの代表を宣言

8日   欧州は財政制裁を強化、「反リビア政府臨時国家審議会」はカダフィの国外退出要求 

10日  仏が世界で最初に「反リビア政府臨時国家審議会」をリビアの唯一正当な代表と承認

11日  欧州首脳会議では、仏英主導のリビア領空権剥奪の提案は合意されなかった。

15日  パリ開催のG8首脳会議ではフランスと英国の両国が強く主張したリビアのカダフィ大佐への空爆で、フランス側がリビアの領空権を奪取する提案を提出したが、中国とロシアが強く反対し成立しなかった。ドイツのメルケル首相も人民の安全が保障されないなど北アフリカでの戦火拡大の危険性を回避できないとして恐れサルコジ大統領の空爆の主張には反対した。


16日   「ユーロ・ニュース」のリアド・ムドセス特派員のインタビューに答えたカダフィ大佐の息子のセイフ・アル-イスラム氏は「サルコジは2007年の仏大統領選挙でリビアからの資金援助を受諾している。その証拠を近く暴露する」と話して脅かしている。

17日  サルコジ大統領は国連安保理に訴えての国際社会の名でのカダフィ空爆の軍事介入に成功。独・ロシア・インド・中国・ブラジル5カ国が投票棄権。中国・ロシアは拒否権行使をしなかった。

18日 18日09時、カダフィ大佐の息子のセイフ・アル-イスラムは「我々は怖くない、もしリビアに空爆をしてリビア人を殺害するのならば人民を援助することにはならない。それでは誰もよろこばない」とABC News Nightlineで語った。


フランスのアラン・ジュッペ外相はONU国連で発言し、民主的革命への「アラブ諸国の春」の到来があった。リビアのカダフィ体制は自国の国民を殺害して人権違反を犯しているので国際司法裁判にかける。が、十分ではなく市民を援助する意味で国連(ONU)制裁の空爆をすることにしたと発言。


バラック・オバマ米大統領はカダフィ側が応じなければ軍事介入は支持するが、米軍は陸地戦には参加しないと発表。


アラン・ジュッペ仏外相は、リビアでの総てのカダフィ爆撃の軍事行動の準備はできていると発表した。カダフィ側では直ちに停戦をすると宣言。


18日朝10時には、ドイツのメルケル首相と同じくロシアもリビアへの軍事作戦に参加しないことをニコライ・マカロブ将軍が宣言している。

19日  サルコジ大統領は官邸エリゼ宮殿で、リビア軍への軍事介入の開始を15時半過ぎに宣言。すでに同日11時にフランスを飛び立っていたラファール戦闘機2機とミラージュ戦闘機2機などが17時45分ごろ、蜂起軍のシンボルであるベンガジ周辺を固めていたカダフィ軍の装甲車を爆撃した。