7月4日、ロシアのメドベージェフ大統領とNATO事務総長のアナス・フォー・ラスムセン氏が黒海沿岸のソチ(Sotchi)で会談したが、両者のリビア空爆への認識は明らかに対立していた。ロシア─NATO会談には同機構28カ国の外交官が出席した。軍事的解決に反対し平和的解決を提案するロシアの立場を支持する南アフリカのジャコブ・ズマ大統領も出席した。ロシアの大統領はフランスのパラシュート部隊による6月初旬の反リビア蜂起軍側への軍事支援でダッソー小機関銃などの武器・弾薬の地上投下が最近になって発覚したことを上げて、誰でもが何でもしてよいのかと不機嫌に発言して、NATO北大西洋条約機構のリビア空爆の根本問題に触れて指摘した。(JST 11/07/06/13:19)
ロシアのセルゲイ・ラブロフ(Sergei Lavrov)外相は記者会見で、今のところは我々はNATOとはその国連決議の実施解釈では同じ見解をとらないとして、NATO側の解釈である国連決議1973は軍事行使を許すというリビア空爆擁護の立場とは明確に対立した見解を見せている。
ロシアは国連安全保障理事会のリビア国連決議1973には拒否権を行使せずに危険した。NATOのリビア空爆で市民が犠牲になった誤爆が、NATO側からも確認されていた。リビアのカダフィ大佐側もその市民や公共施設への空爆に対して抗議していた。ロシア側は国連決議1973の実際的な解釈次元では、NATO側が行き過ぎた市民殺害までも許しているのかと特に批判しているわけだ。
ラスムセン氏はメドベージェフ大統領に反して、現在のところは国連決議は成功しているとの認識を表明した。しかしNATOの司令官たちからは空爆のために人権擁護団体がリビア市民の救援に入れない状態を憂慮する証言がなされている。
先週開催されたアフリカ諸国連合(UA)の集会では、全リビア人との交渉を将来の基礎とすべきだとのテキストを採決している。同テキストではムアマル・カダフィ大佐に対するオランダのハーグ国際刑事裁判所(ICC-CPI )の出す人権犯罪の起訴状適応をUAは拒絶しながらも、交渉では大佐の排除がうたわれている。一方、同テキストではカダフィ大佐が権力から去ることを明白には要求してない。これは内政干渉をできるだけ避けようとするアフリカ諸国の長い経験からきているもので、リビアの国民主権にたいする一つの尊厳だとも考えられる。
リビアへの空爆はフランスのサルコジ大統領が哲学者のベルナール・アンリ・レヴィと決めて開始されたものだといわれている。国連やNATO、米国などのリビア空爆参戦は後のことであった。このリビア空爆では国際社会の意見が云々としばしば指摘されたが、その意味する内容は英国やイタリアなど数カ国にしか過ぎなかった。
北アフリカのマグレブ地方でチュニジアやエジプトが「アラブ諸国の春」の先駆けをしたが、それらの独裁君主と友好国であったフランスの外交官や大臣らはアラブ諸国人民の革命の本質が読みきれずに遅れ出をとってしまっていた。当時外務大臣のミッシェル・アイオマリ(前内相、元防衛相)は年末年始に家族4人で革命の胎動が始まったチュニジアにベンアリ一派の招待旅行を受けて滞在した。此れを隠蔽し続けていたが、最終的に暴露されて辞任に至っている。フィヨン首相もムバラク一族の接待を受けて同じクリスマス休暇を豪華にエジプトで過ごしていた。
こういうフランス政治家の認識の失態を拭い去ろうとするところにリビアのカダフィ大佐を独裁者の棟梁として祭り上げてこれを退治するサルコ氏のイメージで焼き直そうとしたのではないかとの見方もある。しかし、リビアのカダフィ大佐の娘の発言にあるように、どうしてサルコジは私の父親や兄を殺そうとするのかわからないと自問しているとおりで、なぜサルコジ大統領はリビア空爆を開始したのか?その理由はあまり知られてないし、明確にされてはいないのではないか。
国連議決1973は、2011年3月17日に国連安全保障理事会で決議されたリビアと蜂起側の「反リビア政府臨時国家審議会」と、リビア市民の安全及び人権擁護団体の介入を保証したもの。空爆の時間帯や対象、軍隊の地上介入の禁止などが規定されている。
4日、リビア副外相のカルド・カイム氏は記者会見し、カタール側から蜂起した反リビア政府臨時国家審議会(CNT)側へと武器が輸送されていたが、この2隻の輸送船をトリポリの西部30キロのザンズールで捕獲したと発表している。
(参考記事)
Libye: la Russie et l'Otan ne parviennent pas à régler leurs différends | Corse-Matin