●クールベ(1819-1877)「画家のアトリエ」(1855)油画。レンブラントとベラスケスを師とするクールベはこの絵で彼を支持する人々(ランボーなど)を右側に反対派の人々(ナポレオンⅢ世など)を左側に描いた。中央のクールベの隣に立つ裸婦は真実を表している。
●マネ(1832-1883)「オリンピア」(1863)油画。チィチアンの「ウルビーノのヴィーナス」やアングル「グランド・オダリスク」の古典的テーマで描きパースペクティブと量感を捨象。モデルビクトリーヌ・ムーランの自然主義的な描写がスキャンダルとなった。「マネの総てがある大傑作」とゾラが擁護。
●メルシエ(1845-1916)「ダビッド」(1872)彫刻。柔らかい腺を実現させたこの作品で28歳にしてレジョンドヌール勲章を受けた。同時代の最良の彫刻家としてルネサンスを呼吸しながら古典の息吹きを現代性の中に再解釈させてみせた。
●ミレ(1814-1875)「晩鐘」(1859)油絵。19世紀農民の生活を深く理解し直接にクールベのリアリズムに影響を与えている。前景に描かれた女性は受胎告知の天使の姿勢そのもので中景は簡略化。遠景に描かれたバルビゾン近くのシャイリー村の教会からは夕暮れ時を刻む鐘楼の音が響いている。
●モネ(1840-1926)「草上の昼食」(1866)油絵。若い時の作品。絵の左はモネの尊敬するクールベ。右は4年後にモネの妻になるカミーユ・ドンシュー。背後に立つ男性は友人のバジール。題はマネの作品と同じだが、《アトリエの外》フォンテンブローの森で描かれた。
●トゥールーズ・ロートレック(1864-1901)「踊るジャン・アブリール」(1891)パステル。モンマルトルの多くのダンサーや娼婦を描き、題名は画家の好きなモデル。ドガの影響を強く受けた。
● ゴッホ(1853-1890)「自画像」(1889頃)油絵。南仏サンレミーの精神病院を離れ理解者ドクター・ガッシェの住むオーベール・シュル・オワズで亡くなるまでの70日間に80枚以上を描いた。最晩年の作品で、ガッシェがルーブル美術館に1949年寄贈。代表作。
● ブガチィ(1855-1940)「イス」(1902)家具。1900年のパリ万博などで大成功を収めたイタリアの装飾家。エキゾチックな曲線のフォームと貴金属や真珠などを配し、皮やマホガニーの材料を使っての寄木細工や網目模様の透かし織りに特徴がある。
● ドニ(1870-1943)「セザンヌ賞賛」(1900)油絵。現代絵画の父と称されるセザンヌの絵を囲み右からルドン、ブィヤー、ボラール・ドニなどナビ派の新世代の象徴派の面々が描かれている。ボナール的日本趣味やイタリア旅行で発見したルネッサンス初期絵画の影響から、セザンヌの簡略化とやや古風な表現法をナビの指導原理に据えようと提示した絵。
● スーラ(1859-1891)「サーカス」。1891年の独立芸術家展出品作。スーラは点描画法が印象主義の絵よりも個人的感性を抑制したより客観的な色彩体系の理論が可能だと考えた。額(がく)を点描で描いたのもスーラの理論からすると周囲の色で絵の色が影響されてしまうと考えたからだ。
● ゴーギャン(1848-1905)「タヒチの女たち」(1891)油絵。産業文明を厭離しブルターニュ、アルル、タヒチに住んだ。土地の風景にひかれ原地人の原始的感性や呪術的価値をスタイル化した現代絵画を深く志向する色使いを実現した。日本の版画の影響も多大。
● ロダン(1840-1917)「歩く人」(1905)彫刻。フィレンツェでミケランジェロを学びその秘密が少しわかったと手紙にロダンは書いている。1875年から5年ほどベルギーに滞在して田園や森を歩く楽しみを発見したロダンは後にコンパスを開いたような両足で頭が除去された作品をつくった。これをリルケは、「完全な歩く人だ。何も付け足すものはない」と評した。
● マネ(1832-1883)「草上の昼食」(1866)油絵。1863年の帝展で落選した作品で、ナポレオンⅢ世がこの絵を下品だと揶揄した。この絵は同年、印象派画家が集まった落選展に「水浴」の名で出品し大きなスキャンダルを巻き起こした。絵はマネとモデルのビクトリン・ムーラン、後で義兄弟になるリーンフォフが描かれている。マネはジョルジョーネの「田園のコンサート」をコピーしていてその現代版を描きたかったと述懐。絵には消失点がいくつもあるのが印象派の先駆的な作品となった。
● ドガ(1834-1917))「ダンス教室」(1876)油絵。ダンスの練習風景で手前に後ろ向きに立つ少女の足元に犬やサルがいる。これを見ると奥の方は見えないのだ。また奥で指導している先生を見ると手前のピアノの上に座った黄色い腰リボンを付けた少女は見えなくなるドガの視覚の広い絵がある。
● ルノワール(1841-1919)「ムーラン・ド・ラ・ガレット」(1876)油画。1877年の第三回印象派展出品作。モンマルトルの丘の上にガレットを食べられる風車のある野外コーヒー店があったことから絵の名前になった。日曜日に近所の人々や学生や芸術家など多彩な人物がやってきて踊った。入場料はかなり高価であった。この絵の人物はルノワールの友人の画家や常連のモデルである。晩年に人物を消したり全体の色のトーンを青く描きなおした。
● モネ(1840-1924)「コクリコ」(1873)油絵。手前の人物と左奥の人物は同じモデルが使われている。「コクリコ」は印象派の作品でも特に有名で色と色を混ぜないで点のしみのように隣り合わせて置いている。そこに夏の日の揺れ動く雰囲気が見る人に感じられるのだ。
● カーユボット(1848-1894)「床板を削る人々」(1875)油絵。画家で収集家でもあった彼は同時代の印象派の画家を経済的に支援した。モネに見出され1874年に印象派の仲間入りする。作品は1876年のサロンに出品されその労働者を描いた過酷なまでのリアリズムがスキャンダルになった。
●セザンヌ(1839-1906)「コ-ヒーカップのある女性の肖像」(1890頃)油絵。絵には制作年代が入ってない。セザンヌの絵でも力強さが出ている時代のもの。テーブルの上のコーヒーカップや円筒形の器具と同じように、モデルの人物も静物のように長い間身動きしないでいなければならなかった。テーブルの温か味のある色と対照的な青色の構成によって人物はより強さが引き立てられている。絵の婦人は誰なのか?何処で描かれたのかなども不明だ。
●マネ(1832-1883)「オリンピア」(1863)油画。チィチアンの「ウルビーノのヴィーナス」やアングル「グランド・オダリスク」の古典的テーマで描きパースペクティブと量感を捨象。モデルビクトリーヌ・ムーランの自然主義的な描写がスキャンダルとなった。「マネの総てがある大傑作」とゾラが擁護。
●メルシエ(1845-1916)「ダビッド」(1872)彫刻。柔らかい腺を実現させたこの作品で28歳にしてレジョンドヌール勲章を受けた。同時代の最良の彫刻家としてルネサンスを呼吸しながら古典の息吹きを現代性の中に再解釈させてみせた。
●ミレ(1814-1875)「晩鐘」(1859)油絵。19世紀農民の生活を深く理解し直接にクールベのリアリズムに影響を与えている。前景に描かれた女性は受胎告知の天使の姿勢そのもので中景は簡略化。遠景に描かれたバルビゾン近くのシャイリー村の教会からは夕暮れ時を刻む鐘楼の音が響いている。
●モネ(1840-1926)「草上の昼食」(1866)油絵。若い時の作品。絵の左はモネの尊敬するクールベ。右は4年後にモネの妻になるカミーユ・ドンシュー。背後に立つ男性は友人のバジール。題はマネの作品と同じだが、《アトリエの外》フォンテンブローの森で描かれた。
●トゥールーズ・ロートレック(1864-1901)「踊るジャン・アブリール」(1891)パステル。モンマルトルの多くのダンサーや娼婦を描き、題名は画家の好きなモデル。ドガの影響を強く受けた。
● ゴッホ(1853-1890)「自画像」(1889頃)油絵。南仏サンレミーの精神病院を離れ理解者ドクター・ガッシェの住むオーベール・シュル・オワズで亡くなるまでの70日間に80枚以上を描いた。最晩年の作品で、ガッシェがルーブル美術館に1949年寄贈。代表作。
● ブガチィ(1855-1940)「イス」(1902)家具。1900年のパリ万博などで大成功を収めたイタリアの装飾家。エキゾチックな曲線のフォームと貴金属や真珠などを配し、皮やマホガニーの材料を使っての寄木細工や網目模様の透かし織りに特徴がある。
● ドニ(1870-1943)「セザンヌ賞賛」(1900)油絵。現代絵画の父と称されるセザンヌの絵を囲み右からルドン、ブィヤー、ボラール・ドニなどナビ派の新世代の象徴派の面々が描かれている。ボナール的日本趣味やイタリア旅行で発見したルネッサンス初期絵画の影響から、セザンヌの簡略化とやや古風な表現法をナビの指導原理に据えようと提示した絵。
● スーラ(1859-1891)「サーカス」。1891年の独立芸術家展出品作。スーラは点描画法が印象主義の絵よりも個人的感性を抑制したより客観的な色彩体系の理論が可能だと考えた。額(がく)を点描で描いたのもスーラの理論からすると周囲の色で絵の色が影響されてしまうと考えたからだ。
● ゴーギャン(1848-1905)「タヒチの女たち」(1891)油絵。産業文明を厭離しブルターニュ、アルル、タヒチに住んだ。土地の風景にひかれ原地人の原始的感性や呪術的価値をスタイル化した現代絵画を深く志向する色使いを実現した。日本の版画の影響も多大。
● ロダン(1840-1917)「歩く人」(1905)彫刻。フィレンツェでミケランジェロを学びその秘密が少しわかったと手紙にロダンは書いている。1875年から5年ほどベルギーに滞在して田園や森を歩く楽しみを発見したロダンは後にコンパスを開いたような両足で頭が除去された作品をつくった。これをリルケは、「完全な歩く人だ。何も付け足すものはない」と評した。
● マネ(1832-1883)「草上の昼食」(1866)油絵。1863年の帝展で落選した作品で、ナポレオンⅢ世がこの絵を下品だと揶揄した。この絵は同年、印象派画家が集まった落選展に「水浴」の名で出品し大きなスキャンダルを巻き起こした。絵はマネとモデルのビクトリン・ムーラン、後で義兄弟になるリーンフォフが描かれている。マネはジョルジョーネの「田園のコンサート」をコピーしていてその現代版を描きたかったと述懐。絵には消失点がいくつもあるのが印象派の先駆的な作品となった。
● ドガ(1834-1917))「ダンス教室」(1876)油絵。ダンスの練習風景で手前に後ろ向きに立つ少女の足元に犬やサルがいる。これを見ると奥の方は見えないのだ。また奥で指導している先生を見ると手前のピアノの上に座った黄色い腰リボンを付けた少女は見えなくなるドガの視覚の広い絵がある。
● ルノワール(1841-1919)「ムーラン・ド・ラ・ガレット」(1876)油画。1877年の第三回印象派展出品作。モンマルトルの丘の上にガレットを食べられる風車のある野外コーヒー店があったことから絵の名前になった。日曜日に近所の人々や学生や芸術家など多彩な人物がやってきて踊った。入場料はかなり高価であった。この絵の人物はルノワールの友人の画家や常連のモデルである。晩年に人物を消したり全体の色のトーンを青く描きなおした。
● モネ(1840-1924)「コクリコ」(1873)油絵。手前の人物と左奥の人物は同じモデルが使われている。「コクリコ」は印象派の作品でも特に有名で色と色を混ぜないで点のしみのように隣り合わせて置いている。そこに夏の日の揺れ動く雰囲気が見る人に感じられるのだ。
● カーユボット(1848-1894)「床板を削る人々」(1875)油絵。画家で収集家でもあった彼は同時代の印象派の画家を経済的に支援した。モネに見出され1874年に印象派の仲間入りする。作品は1876年のサロンに出品されその労働者を描いた過酷なまでのリアリズムがスキャンダルになった。
●セザンヌ(1839-1906)「コ-ヒーカップのある女性の肖像」(1890頃)油絵。絵には制作年代が入ってない。セザンヌの絵でも力強さが出ている時代のもの。テーブルの上のコーヒーカップや円筒形の器具と同じように、モデルの人物も静物のように長い間身動きしないでいなければならなかった。テーブルの温か味のある色と対照的な青色の構成によって人物はより強さが引き立てられている。絵の婦人は誰なのか?何処で描かれたのかなども不明だ。