いずれにしても、セイフ氏は、2011年に旧体制を終焉させようとしたリビア蜂起側の民衆抑圧の一翼を担った罪でトリポリ政府からは、2015年7月28日に死刑を宣告されていた。が、しかし、死刑は実行されていなかった。「川が最後の血で染まるまで」と約束していたセイフ氏はザンタンの刑務所に入っていた。ここを指揮するのは、国際社会の承認する国家統一リビア政府(GNA)に対して、GNAに反対する軍組織のアジミ・アル・アチリ大佐だが、大佐は、法的な枠外で囚人を扱っていてセイフ氏の裁判がトリポリで2014年4月にあった時も、トリポリ政府の要求する裁判を拒絶していたのである。セイフ氏の弁護士はGNAが承認したくなくとも、セイフ氏は釈放されたと言っている。
トリポリでの2014年4月の裁判は、ビデオ・コンフェランスで行われた。ザンタン法廷からセイフ氏の映像がトリポリへと送られたのであった。2014年以来、リビアはトリポリ(Tripoli)と、東部エジプト国境近くのトブルク(Tobrouk)との二つの政府に分裂していて、法制もそれぞれ異なっている。
トリポリ(GNA)は3月30日に死刑法をトリポリ政府全域に施行を許可したが、セイフ氏は、リビア法の認めるトブルク政府の議会が定める一般法の恩恵に浴しているわけだ。
一方で、セイフ氏にはオランダのハーグ国際刑事裁判所(ICC)の2011年に8カ月に及ぶ人権違反の犯罪が追求されている。セイフ氏の弁護士カリム・カーンはICCの総てのセイフ氏に及ぶ訴訟を消滅するように要求している。
このカダフィのリビア攻撃では、フランスのサルコジ前大統領が先頭になってリビアに夜の空爆を英国と共に行ったことも人権問題として、有名なジャック・ベルジェス弁護士などによって批判されていた。このフランスなどによる空爆でリビアのインフラが完全破壊され、リビアはアフリカや中東からの難民が地中海を渡るのに好都合な無法国家となってしまった。特に2015年頃から多くの難民の死への旅を演出することになったのである。
(文字数 ;1264)(投稿日本時間 ;7/9/2016 8:53:04)
【参考記事】
http://www.france24.com/fr/20150728-libye-seif-al-islam-kadhafi-fils-ex-dictateur-libyen-condamne-mort-contumace
http://www.lemonde.fr/afrique/article/2016/07/07/saif-al-islam-kadhafi-libre-et-convoite_4965151_3212.html
http://www.tdg.ch/monde/seif-alislam-kadhafi-toujours-derriere-barreaux/story/30326058