カトリック教会が主導して9月7日に絶食と祈祷の日を組織するが、同日夜には、シリアへのすべての軍事介入に反対することをフランソワ教皇はローマのサンピエール広場から世界のカトリック教徒や信望者に呼びかける。教皇はシリアへの軍事介入は軽薄だと考えている。しかしキリスト教は過去にこの軽薄さでイスラム世界への十字軍遠征をしていることを忘れてはならない。
そこに現代に続く怨念の人種差別やヨーロッパ文明を最高とする他文明蔑視の温床があったはずだ。
教皇はシリアへの軍事介入は軽率だというが、シリアだけではない.。どんな軍事的殺害も一人の殺害であっても人を殺すということをどんな宗教・道徳も許してはいない。
シリアだけではない。十字軍や植民地主義を支持した者たちが胸をはっていえる言葉ではない。
堕ちた人間を救えない者たちだからなのか?多くの人を殺し堕地獄の原因をつくっているアサドを糾さないのだろうか。
化学兵器を使ってシリア市民を殺戮し、戦車で自国民に向けて砲弾を撃ったアサドを何故キリスト教徒は糾弾しないのか不思議である。キリスト教には彼を改心させ地獄から救うべく救済する力はないのだろうか。
シリアだけではない。十字軍や植民地主義を支持した者たちが胸をはっていえる言葉ではない。
堕ちた人間を救えない者たちだからなのか?多くの人を殺し堕地獄の原因をつくっているアサドを糾さないのだろうか。
化学兵器を使ってシリア市民を殺戮し、戦車で自国民に向けて砲弾を撃ったアサドを何故キリスト教徒は糾弾しないのか不思議である。キリスト教には彼を改心させ地獄から救うべく救済する力はないのだろうか。
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