(パリ=飛田正夫 日本時間27/03/2017;8:24:02)カトリック教会の本山バチカンとフランスのカトリック教会の人的管理がリヨンの大司教フィリップ・バルバラン(Philippe Barbarin)枢機卿の青少年への性犯罪行為(ペドフィル)はフランスを驚かせた。その後で今度は、インターネット新聞の「メディアパー」がフランスのカトリック教会聖職者による青少年へのペドフィルの犠牲者が339人を数えていることを独自の調査によって、21日20時55分から「教会の中のペドフィル」と題してフランス国営放送テレビA2で発表した。この番組には聖職者も呼ばれていたが説明する機会となる事よりも避難される場となる事を恐れてカトリック教会側は誰も出席しなかった。たしかに32人の僧侶や20人の引退した司教と5人の現役の司教による青少年への性犯罪行為にはどんな説明の余地もないだろう。報道によるとこの数は1960年代以降から現在に至るものであるが、その半数は2000年以降に起きていると指摘している。
しかしながら今回の調査ではカトリック教会の聖職者の0.2%にペドフィル行為が及んでいて、司教では1950年から2002年に間に平均で4%。オーストリアでは1950年から2010年で7%の司教がペドフィル行為があったと見られている。社会学者の見解では聖職者の世界でのペドフィルは他の社会に比較して一番この性犯罪が多いと指摘している。しかしその数となるとそのほとんどが隠滅されてわからなくなっているという。教会での青少年への性犯罪は神からの正当性を受けた司祭と現代化した聖なる子供の関係であるがゆえに大きなショックとなっていると解釈している。
しかしそこに大人と子供との分別が無かったのかと常識人の道徳が無かったのかと疑問が起きるであろう。カトリック教会の聖職者の世界は階層的社会で序列が厳しく絶対服従の世界であると言われる。
教会僧侶による未成年者への性愛犯罪ぺドフィルは行為は司教区の監督者が知っていてこれを隠してきた場合も多い。これは青少年への危険救助が回避されていることを示すもので、弱者の危険を助けるべき救助義務がある立場にいながらそれを行わないということだ。これはまた信仰的福音の思想からもほど遠く、二重人格的思想であるということだ。この傾向はキリスト教を信条としたフランスの政治家にもしばしば見られるもので、悪い事をしていても一考にそれが犯罪であるということを意識できなくなってしまうということがあるようだ。
【参考記事】
http://www.sudouest.fr/2017/02/13/pretres-pedophiles-nouvelle-enquete-sur-le-scandale-des-scandales-3193799-4834.php
http://www.sudouest.fr/2017/03/20/pretres-pedophiles-mediapart-accuse-l-eglise-d-avoir-couvert-les-abus-3293432-4834.php
http://www.ouest-france.fr/societe/mediapart-enquete-sur-des-abus-sexuels-dans-l-eglise-4872166
http://www.sudouest.fr/2016/08/01/pedophilie-l-enquete-sur-le-cardinal-barbarin-pour-non-denonciation-classee-sans-suite-2453847-4697.php