2011年12月18日日曜日

仏のアルメニア人大量殺戮法案に、トルコのエルドアン首相が手紙でサルコジ大統領に反論


16日、トルコのレジェブ・タイップ・エルドアン首相はサルコジ大統領への直接の手紙の中で、トルコのアルメニア人大量殺戮を弾劾することを狙った法案を採決させれば、フランスとの間の政治、経済、文化などあらゆる分野で重大な結末を招くことになるので、注意するように書き送っていたことがトルコ側の公式情報からわかった。

12月22日の下院議会で与党政権の国民運動連合(UMP)によって提案される法案で、トルコはアルメニア人虐殺(1915年-1917年)を承認することを拒否しつづけてきた。この提案自体が直接にトルコ政府とフランスに住むトルコ人を狙い撃つ敵対的行為だとエルドアン首相は書いている。

続けて、また左派系の週刊誌ヌーベル・オブセルバトワールfr.からの引用だが、現段階で私が心を開いていいたいのは、もしもプロセス超過の段階を超えたらば、最終的には両国間の経済的文化的に重大な結果をもたらすだけでなく、これを推進した責任者の責務が問われるとサルコジ大統領にエルドアン首相は書き送った。

歴史家によれば、1915年のオスマン・トルコ帝国によるアルメニア人殺害は150万人まで数えることができると想定している。しかしこれをトルコ側はこの大量殺戮のジュノサイドの用語を拒絶している。数字は膨張化され殺害は両陣営にあったと主張している。

サルコジ大統領は10月7日にアルメニアのエレバン(Erevan)を訪問した機会に、トルコがこの事件の責任を認めるように要求していて、これを認めない者を罰する法案の投票を匂わせていた。


これに対しトルコのアメッド・ダブトグリュ(Ahmet Davutoglu)外相は、「(フランスが)自国の過去に立ち向かえないというのは、それは数世紀にわたり植民地主義の政治をやってきたからである」、「それは植民地の市民を第二等市民として扱ってきたからである」「(フランスは)トルコに歴史の教訓を指導することは出来ない」とサルコジ大統領の発言に反駁していた。


さらに外相はトルコとアルメニアとの和解交渉は我々がするのであって、サルコジ大統領のやり方では否定的な結果しか出ないと批判した。


サルコジ外交の特徴は、歴史的な人間の記憶の土地を訪れては、花束などを先ず献じその機会を利用して政治発言をすることが多いのが特徴だ。そこを捕らえたトルコの外相の指摘はフランスの政治をよく観察していて面白い。


もしも犠牲になった死者を政治的に利用して立ち振る舞って来春の大統領選挙の名声獲得の餞としていたのならば、それはアルメニア人だけでなくリビアの市民への誤爆による空爆死も、また植民地主義での現地人殺害も重い冒涜になってくるだろう。(この辺の事情はリビアに関するフラネット(パリ通信)の読者ならば、きっとご存知いただけると思う。)


トルコの外相のような頭脳の明晰性とは、まず偽善ではない潔癖性こそが今の世界の政治家に本当は求められているのだが、それと同時に自分だけ良い子になって死者を冒涜しないことではないのか。

もしオスマン・トルコによるアルメニア人大量殺戮を認めずこれに抗議する者には禁固刑と罰金45000ユーロ(約 470万円)が課せられるという与党政権の国民運動連合(UMP)の法案だが、これは12月22日にUMPによって下院に提案されるが、同様な法案は2006年10月12日にも下院で持ち上がり、2011年3月4日にこれは却下されている。私が危惧するのはフランスにせよトルコにせよ人を殺害する戦争を過去も現在も許してきていることだ。その行為を正当化している言葉の下品さが気になるのである。




2011年10月07日
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2011年5月04日
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【参考記事】